<feed xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom"><title>紫苑姫&#39;s Ownd</title><link href="https://sion16hime.amebaownd.com"></link><id>https://sion16hime.amebaownd.com</id><author><name>紫苑姫</name></author><updated>2019-03-11T07:13:55+00:00</updated><entry><title><![CDATA[東日本大震災追悼式 秋篠宮さまのおことば 全文]]></title><link rel="alternate" href="https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5869370/"></link><id>https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5869370</id><summary><![CDATA[秋篠宮さまは東日本大震災の発生から８年となる11日、東京都内で開かれた犠牲者の追悼式に紀子さまとともに出席し、被災地や被災者に末永く寄り添うことが大切だとする気持ちをあらわされました。秋篠宮さまのおことばの全文です。今日、３月11日、未曾有の地震とそれに伴う津波が、東北地方を中心に東日本を襲い、２万人を超える死者および行方不明者が生じた東日本大震災から８年になりました。この当時の状況は８年を経た今でも決して脳裏から離れるものではありません。本日ここに、一同と共に、震災によって亡くなった人々とその遺族に対し、深く哀悼の意を表します。被災地においてはこの間、人々が幾多の困難を乗り越え、手を携えて、復興に向けての努力を弛みなく続けてきました。こうした努力を支援するため、国や全国の自治体、そして国内外の多くの人々が、さまざまな形で力を尽くしてきました。その結果、住宅の再建や生活環境の整備、産業の再生、沿岸部の鉄道の復旧、防災施設の整備など、復興の歩みは着実に進展してきております。また、原子力発電所の事故により避難を余儀なくされた地域においても、多くの地域で避難指示が解除されるなど、本格的な復興・再生に向けての動きが進んでいます。しかし、その一方では今なお多くの被災者が被災地で、また避難先で、依然として不自由な暮らしを続けている厳しい現実があります。とりわけ、いまだに放射線量が高いことなどによってみずからの家に帰還できない人々が多いことや児童および生徒数の減少、さらに根強い風評被害により農林水産業などへの影響が残っていることに思いを馳せると心が痛みます。さらに、避難生活が長期化する中で、齢を重ねていく高齢者を始め、被災者の心身の健康のことは、深く心に掛かります。困難な状況の中にいる人々が、誰一人取り残されることなく、少しでも早く平穏な日常の暮らしを取り戻すことができるよう、また復興の歩みが着実に進展していくよう、これからも私たち皆が心を一つにして被災した地域や人々に末永く寄り添っていくことが大切でありましょう。東日本大震災による大きな犠牲の下で、私たちは平素からの避難訓練や防災教育の重要性を強く認識し、そして過去の災害の記録と記憶が忘れ去られることなく、これを継承していくことがいかに大切であるかを学びました。この教訓を決して忘れることなく後世へと伝え、災害の危険から多くの人々が守られることを心より願っております。今なお困難を背負いながらも、復興に向けて日々努力を続けている人々に思いを寄せ、一日も早く安らかな日々が戻ることを皆で祈念し、御霊への追悼のことばといたします。]]></summary><author><name>紫苑姫</name></author><published>2019-03-11T07:13:55+00:00</published><updated>2019-03-11T07:13:55+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>秋篠宮さまは東日本大震災の発生から８年となる11日、東京都内で開かれた犠牲者の追悼式に紀子さまとともに出席し、被災地や被災者に末永く寄り添うことが大切だとする気持ちをあらわされました。秋篠宮さまのおことばの全文です。</p><p>今日、３月11日、未曾有の地震とそれに伴う津波が、東北地方を中心に東日本を襲い、２万人を超える死者および行方不明者が生じた東日本大震災から８年になりました。この当時の状況は８年を経た今でも決して脳裏から離れるものではありません。本日ここに、一同と共に、震災によって亡くなった人々とその遺族に対し、深く哀悼の意を表します。</p><p>被災地においてはこの間、人々が幾多の困難を乗り越え、手を携えて、復興に向けての努力を弛みなく続けてきました。こうした努力を支援するため、国や全国の自治体、そして国内外の多くの人々が、さまざまな形で力を尽くしてきました。</p><p>その結果、住宅の再建や生活環境の整備、産業の再生、沿岸部の鉄道の復旧、防災施設の整備など、復興の歩みは着実に進展してきております。また、原子力発電所の事故により避難を余儀なくされた地域においても、多くの地域で避難指示が解除されるなど、本格的な復興・再生に向けての動きが進んでいます。</p><p>しかし、その一方では今なお多くの被災者が被災地で、また避難先で、依然として不自由な暮らしを続けている厳しい現実があります。とりわけ、いまだに放射線量が高いことなどによってみずからの家に帰還できない人々が多いことや児童および生徒数の減少、さらに根強い風評被害により農林水産業などへの影響が残っていることに思いを馳せると心が痛みます。さらに、避難生活が長期化する中で、齢を重ねていく高齢者を始め、被災者の心身の健康のことは、深く心に掛かります。</p><p>困難な状況の中にいる人々が、誰一人取り残されることなく、少しでも早く平穏な日常の暮らしを取り戻すことができるよう、また復興の歩みが着実に進展していくよう、これからも私たち皆が心を一つにして被災した地域や人々に末永く寄り添っていくことが大切でありましょう。</p><p>東日本大震災による大きな犠牲の下で、私たちは平素からの避難訓練や防災教育の重要性を強く認識し、そして過去の災害の記録と記憶が忘れ去られることなく、これを継承していくことがいかに大切であるかを学びました。この教訓を決して忘れることなく後世へと伝え、災害の危険から多くの人々が守られることを心より願っております。</p><p>今なお困難を背負いながらも、復興に向けて日々努力を続けている人々に思いを寄せ、一日も早く安らかな日々が戻ることを皆で祈念し、御霊への追悼のことばといたします。</p>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[相談急増の児童相談所「限界」　人手不足で疲弊する職員]]></title><link rel="alternate" href="https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5773999/"></link><id>https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5773999</id><summary><![CDATA[福井県内で児童虐待に関する相談が急増し、児童相談所（児相）が対応に追われている。千葉県野田市の小学4年女児が死亡した事件では、虐待リスクを認識しながら十分に対応しなかったとの批判が児相に集まった。福井県内の児相は「虐待から子どもを救うため県民の関心が高まって事案の掘り起こしにつながるのはよいことだが、職員負担は限界にきている」と疲弊している。　県内の児相は福井市と敦賀市の2カ所にある。県によると2017年度、児相に寄せられた虐待対応件数は553件。11年度の166件から6年間で約3・5倍に増えた。配偶者への暴力で子どもがストレスを受ける「心理的虐待」がほぼ半数を占め、警察からの情報提供の増加が主な要因という。　一方、虐待問題に向き合う職員数はこの間、約2割の増員にとどまり、17年度は26人で対応した。虐待以外にも不登校や非行、発達障害といった相談もあり、職員1人当たり1日3～5件を担当することも。　虐待案件の保護者から怒鳴られたり、脅されたりして身の危険を感じた職員がいることや、1人で家庭訪問すると虐待を見落とす可能性があることから、児相の役割を担う県総合福祉相談所（福井市）では原則、複数人で対処することにしている。　情報提供や相談があると、複数の職員で24時間以内に児童の安全を確認。家庭訪問や通報者からの聞き取りで、一時保護すべきかどうか判断する。保護者と何度も面談し、保護した後のケアも行うなど「（統計上の）553件だけで終わらない仕事。職員はくたくたで負担の限界を超えている」（同相談所）のが現状だ。　「人手が足りていない」と表情を曇らせるのは、第一線で児童虐待に対応している同相談所のベテラン児童福祉司（48）。東京都目黒区や千葉県野田市で女児が虐待死するなど事件が相次ぎ、福井県内の虐待通報が急激に増えた。「今の態勢では、命に関わるような虐待案件があった場合、ほかの相談への対応が手薄になることもある。職員数が多いほど、より丁寧な対応ができる」と訴える。　野田市の虐待死を受けて、在宅で指導している全ての虐待事案を1カ月以内に安全確認するよう求めた政府の決定についても、現在、両児相で対応を進めている。福井県内関係者は「大変だけれど、野田市のようなことがないよう、しっかりやらなければ」と気を引き締める。　政府は昨年7月、虐待相談や支援に当たる児童福祉司を22年度までに6割増やす方針を打ち出した。県でも18人増の44人にする計画だが、どこまで児童虐待に歯止めをかけられるかは不透明だ。　同相談所の芝康弘こども・女性支援課長（50）は「相談件数が年々増え、職員数が追いついていないように感じる。職員を増やすのも大事だが、経験がないと的確な判断ができず、現場で先輩が教える余裕がない。どう養成するかも課題だ」と話した。]]></summary><author><name>紫苑姫</name></author><published>2019-02-24T11:21:53+00:00</published><updated>2019-02-24T11:21:53+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>福井県内で児童虐待に関する相談が急増し、児童相談所（児相）が対応に追われている。千葉県野田市の小学4年女児が死亡した事件では、虐待リスクを認識しながら十分に対応しなかったとの批判が児相に集まった。福井県内の児相は「虐待から子どもを救うため県民の関心が高まって事案の掘り起こしにつながるのはよいことだが、職員負担は限界にきている」と疲弊している。</p><p>　県内の児相は福井市と敦賀市の2カ所にある。県によると2017年度、児相に寄せられた虐待対応件数は553件。11年度の166件から6年間で約3・5倍に増えた。配偶者への暴力で子どもがストレスを受ける「心理的虐待」がほぼ半数を占め、警察からの情報提供の増加が主な要因という。</p><p>　一方、虐待問題に向き合う職員数はこの間、約2割の増員にとどまり、17年度は26人で対応した。虐待以外にも不登校や非行、発達障害といった相談もあり、職員1人当たり1日3～5件を担当することも。</p><p>　虐待案件の保護者から怒鳴られたり、脅されたりして身の危険を感じた職員がいることや、1人で家庭訪問すると虐待を見落とす可能性があることから、児相の役割を担う県総合福祉相談所（福井市）では原則、複数人で対処することにしている。</p><p>　情報提供や相談があると、複数の職員で24時間以内に児童の安全を確認。家庭訪問や通報者からの聞き取りで、一時保護すべきかどうか判断する。保護者と何度も面談し、保護した後のケアも行うなど「（統計上の）553件だけで終わらない仕事。職員はくたくたで負担の限界を超えている」（同相談所）のが現状だ。</p><p>　「人手が足りていない」と表情を曇らせるのは、第一線で児童虐待に対応している同相談所のベテラン児童福祉司（48）。東京都目黒区や千葉県野田市で女児が虐待死するなど事件が相次ぎ、福井県内の虐待通報が急激に増えた。「今の態勢では、命に関わるような虐待案件があった場合、ほかの相談への対応が手薄になることもある。職員数が多いほど、より丁寧な対応ができる」と訴える。</p><p>　野田市の虐待死を受けて、在宅で指導している全ての虐待事案を1カ月以内に安全確認するよう求めた政府の決定についても、現在、両児相で対応を進めている。福井県内関係者は「大変だけれど、野田市のようなことがないよう、しっかりやらなければ」と気を引き締める。</p><p>　政府は昨年7月、虐待相談や支援に当たる児童福祉司を22年度までに6割増やす方針を打ち出した。県でも18人増の44人にする計画だが、どこまで児童虐待に歯止めをかけられるかは不透明だ。</p><p>　同相談所の芝康弘こども・女性支援課長（50）は「相談件数が年々増え、職員数が追いついていないように感じる。職員を増やすのも大事だが、経験がないと的確な判断ができず、現場で先輩が教える余裕がない。どう養成するかも課題だ」と話した。</p>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[ありがとう、ミカ　聖マリ病院初代「勤務犬」の引退式]]></title><link rel="alternate" href="https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5673964/"></link><id>https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5673964</id><summary><![CDATA[入院患者の治療やリハビリに動物が寄り添うことで闘病意欲を高める動物介在療法を行っている聖マリアンナ医科大学病院（川崎市宮前区）で１月３１日、主役として働いてきた初代「勤務犬」の引退式が行われ、出席者たちが労をねぎらった。　（安田栄治）　この犬はスタンダードプードルの「ミカ」（八歳、オス）。二〇一三年、スウェーデンから来日した。日本介助犬協会（横浜市）で訓練を受けていたが、真っ黒な巻き毛に愛くるしい瞳、なでてと言わんばかりの人懐っこさが見込まれ、一五年四月から勤務犬に。週二回、協会から病院に派遣され、患者を癒やしてきた。　病院でミカの面倒をみる初代ハンドラー（調教師）は、小児外科の長江秀樹医師と看護師長の佐野政子さん。長江さんによると、ミカが来院したのは昨年十二月末までに約二百回。病棟でベッドサイドまで行ったのは計千三百回を超えた。　ミカは手術を怖がる子どもを勇気づけるため手術室まで入り、麻酔が効くまで寄り添った。また、高齢の患者はリハビリでミカに触ろうと、あと一歩、あと一歩、と歩くことに意欲を見せた。入院中のある女性はミカのおかげで笑顔を取り戻し、大部屋の他の患者や看護師らと打ち解けるようになったという。　長江医師は「ミカの仕事は、ただ寄り添うこと。それは患者に笑顔と元気を与え、周囲に希望を与える。ミカを通じて医療の本質を気付かせてもらった」と話す。　高齢のため退くことになったが、引退式には、愛くるしいしぐさに励まされた元患者の子どもたちや家族、医師、職員ら約二百五十人が出席。病気を克服した子どもたちからのビデオレターが放映され「つらいときにいつもいっしょにいてくれてありがとう。ずっとずっと友だちだよ」といったメッセージが伝えられた。　この日、ミカのおいで白色のスタンダードプードル「モリス」（三歳、オス）が二代目の勤務犬に任命された。ハンドラーは看護師の竹田志津代さんと大泉奈々さん。竹田さんは「ミカによる動物介在療法はたくさんの奇跡を起こした。さらに効果的な方法を見いだすため、モリスの活動が大切になります」と話していた。]]></summary><author><name>紫苑姫</name></author><published>2019-02-05T08:30:41+00:00</published><updated>2019-02-05T08:30:41+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>入院患者の治療やリハビリに動物が寄り添うことで闘病意欲を高める動物介在療法を行っている聖マリアンナ医科大学病院（川崎市宮前区）で１月３１日、主役として働いてきた初代「勤務犬」の引退式が行われ、出席者たちが労をねぎらった。　（安田栄治）</p><p>　この犬はスタンダードプードルの「ミカ」（八歳、オス）。二〇一三年、スウェーデンから来日した。日本介助犬協会（横浜市）で訓練を受けていたが、真っ黒な巻き毛に愛くるしい瞳、なでてと言わんばかりの人懐っこさが見込まれ、一五年四月から勤務犬に。週二回、協会から病院に派遣され、患者を癒やしてきた。</p><p>　病院でミカの面倒をみる初代ハンドラー（調教師）は、小児外科の長江秀樹医師と看護師長の佐野政子さん。長江さんによると、ミカが来院したのは昨年十二月末までに約二百回。病棟でベッドサイドまで行ったのは計千三百回を超えた。</p><p>　ミカは手術を怖がる子どもを勇気づけるため手術室まで入り、麻酔が効くまで寄り添った。また、高齢の患者はリハビリでミカに触ろうと、あと一歩、あと一歩、と歩くことに意欲を見せた。入院中のある女性はミカのおかげで笑顔を取り戻し、大部屋の他の患者や看護師らと打ち解けるようになったという。</p><p>　長江医師は「ミカの仕事は、ただ寄り添うこと。それは患者に笑顔と元気を与え、周囲に希望を与える。ミカを通じて医療の本質を気付かせてもらった」と話す。</p><p>　高齢のため退くことになったが、引退式には、愛くるしいしぐさに励まされた元患者の子どもたちや家族、医師、職員ら約二百五十人が出席。病気を克服した子どもたちからのビデオレターが放映され「つらいときにいつもいっしょにいてくれてありがとう。ずっとずっと友だちだよ」といったメッセージが伝えられた。</p><p>　この日、ミカのおいで白色のスタンダードプードル「モリス」（三歳、オス）が二代目の勤務犬に任命された。ハンドラーは看護師の竹田志津代さんと大泉奈々さん。竹田さんは「ミカによる動物介在療法はたくさんの奇跡を起こした。さらに効果的な方法を見いだすため、モリスの活動が大切になります」と話していた。</p>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[北日本は低温傾向　東日本も2月上旬は寒い　1か月予報]]></title><link rel="alternate" href="https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5612911/"></link><id>https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5612911</id><summary><![CDATA[気象庁は24日、向こう1か月の天候の見通しを発表した。北日本は寒気の影響を受けやすく、向こう1か月の気温は平年並みか低い見込み。一方、沖縄・奄美は暖かい空気に覆われやすく、向こう1か月の気温は高い予想となっている。　週ごとの予報によると、1週目（1/26～2/1）の気温は西日本から沖縄・奄美で高い見込み。特に、沖縄・奄美は29日（火）頃からの1週間ほどは、気温が平年よりかなり高くなるとして、沖縄気象台と鹿児島地方気象台は「高温に関する異常天候早期警戒情報」を発表して、農作物の管理等に注意するよう呼びかけている。　　2週目（2/2～8）は北日本を中心に寒気が南下しやすく、東日本でも平年に比べて気温が低くなる見通し。日本海側を中心に平年に比べて、雪（雨）の日が多くなりそうだ。沖縄・奄美は湿った空気の影響を受けやすく、平年に比べ曇りや雨の日が多い見込み。3～4週目（2/9～22）の気温は、平年並みと予想されている地域が多いが、沖縄・奄美は平年並みか高い見込み。なお、北日本と東日本日本海側では、気圧の谷の影響や冬型の気圧配置が強まる時期がある見通し。このため向こう1か月の降水量は平年並か多く、日本海側の降雪量は平年並みか多い予想となっている]]></summary><author><name>紫苑姫</name></author><published>2019-01-24T07:34:39+00:00</published><updated>2019-01-24T07:34:39+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>気象庁は24日、向こう1か月の天候の見通しを発表した。北日本は寒気の影響を受けやすく、向こう1か月の気温は平年並みか低い見込み。一方、沖縄・奄美は暖かい空気に覆われやすく、向こう1か月の気温は高い予想となっている。　週ごとの予報によると、1週目（1/26～2/1）の気温は西日本から沖縄・奄美で高い見込み。特に、沖縄・奄美は29日（火）頃からの1週間ほどは、気温が平年よりかなり高くなるとして、沖縄気象台と鹿児島地方気象台は「高温に関する異常天候早期警戒情報」を発表して、農作物の管理等に注意するよう呼びかけている。<br></p><p>　</p><p>　2週目（2/2～8）は北日本を中心に寒気が南下しやすく、東日本でも平年に比べて気温が低くなる見通し。日本海側を中心に平年に比べて、雪（雨）の日が多くなりそうだ。沖縄・奄美は湿った空気の影響を受けやすく、平年に比べ曇りや雨の日が多い見込み。3～4週目（2/9～22）の気温は、平年並みと予想されている地域が多いが、沖縄・奄美は平年並みか高い見込み。なお、北日本と東日本日本海側では、気圧の谷の影響や冬型の気圧配置が強まる時期がある見通し。このため向こう1か月の降水量は平年並か多く、日本海側の降雪量は平年並みか多い予想となっている</p>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[ルノー、２４日に取締役会…ゴーン氏後任人事]]></title><link rel="alternate" href="https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5604360/"></link><id>https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5604360</id><summary><![CDATA[仏ルノーは２２日、読売新聞の取材に対し、取締役会を２４日に開くことを明らかにした。会長兼最高経営責任者（ＣＥＯ）を務めるカルロス・ゴーン被告の後任人事を決めるとみられる。　ルノーの人事に関連し、２１日付のフランス紙フィガロは、ルノーがゴーン被告の後任人事を話し合うため、１８日に指名委員会を開いたと報じた。指名委は、新会長に仏タイヤ大手ミシュランのジャンドミニク・スナールＣＥＯ、新ＣＥＯにはゴーン被告の逮捕後にＣＥＯ代行に就いたティエリー・ボロレ氏を推薦したという。ゴーン被告に権力が集中していた反省から、会長とＣＥＯを分ける方針とみられる。　同紙は、スナール氏が、日産自動車、三菱自動車との３社連合トップに就任する可能性も伝えた。]]></summary><author><name>紫苑姫</name></author><published>2019-01-22T13:05:15+00:00</published><updated>2019-01-22T13:05:15+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>仏ルノーは２２日、読売新聞の取材に対し、取締役会を２４日に開くことを明らかにした。会長兼最高経営責任者（ＣＥＯ）を務めるカルロス・ゴーン被告の後任人事を決めるとみられる。　ルノーの人事に関連し、２１日付のフランス紙フィガロは、ルノーがゴーン被告の後任人事を話し合うため、１８日に指名委員会を開いたと報じた。指名委は、新会長に仏タイヤ大手ミシュランのジャンドミニク・スナールＣＥＯ、新ＣＥＯにはゴーン被告の逮捕後にＣＥＯ代行に就いたティエリー・ボロレ氏を推薦したという。ゴーン被告に権力が集中していた反省から、会長とＣＥＯを分ける方針とみられる。<br></p><p>　同紙は、スナール氏が、日産自動車、三菱自動車との３社連合トップに就任する可能性も伝えた。</p>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[決意を持ち続ける]]></title><link rel="alternate" href="https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5576355/"></link><id>https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5576355</id><summary><![CDATA[指導者にとって大事なことの一つは、志を持つということである。何らかの志、決意というものがあってはじめて、事は成るのである。だから志を立て決意をするということが必要なわけだが、それは一度志を立て、決心すればそれでいいというものではない。むしろ大事なのは、そうした志なり決意を持ち続けることであろう。そのためには、やはり、たえずみずからを刺激し、思いを新たにするようにしなくてはならない。一度志を立て、決意することによって、非常に偉大なことを成し遂げられるのも人間であるが、その志、決心をなかなか貫き通せない弱さをあわせて持つのも、これまた人間である。]]></summary><author><name>紫苑姫</name></author><published>2019-01-17T01:04:06+00:00</published><updated>2019-01-17T01:04:06+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>指導者にとって大事なことの一つは、志を持つということである。何らかの志、決意というものがあってはじめて、事は成るのである。だから志を立て決意をするということが必要なわけだが、それは一度志を立て、決心すればそれでいいというものではない。むしろ大事なのは、そうした志なり決意を持ち続けることであろう。そのためには、やはり、たえずみずからを刺激し、思いを新たにするようにしなくてはならない。</p><p>一度志を立て、決意することによって、非常に偉大なことを成し遂げられるのも人間であるが、その志、決心をなかなか貫き通せない弱さをあわせて持つのも、これまた人間である。</p>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[リンゴ病が首都圏で流行中　妊婦は要注意]]></title><link rel="alternate" href="https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5512045/"></link><id>https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5512045</id><summary><![CDATA[両頬がリンゴのような色になる伝染性紅斑（通称・リンゴ病）が首都圏や東北を中心に流行している。主に子どもがかかり、自然によくなることが多い。だが、妊婦が感染すると胎児に悪影響を及ぼし、流産や死産につながる恐れもあり、注意が求められる。　リンゴ病はパルボウイルスが原因で、発熱やせき、くしゃみなど風邪と似た症状が出る。くしゃみのしぶきや、手や物の接触を介して広がる。ただ、主症状である紅斑が出た後は、ほぼ感染しなくなる。　国立感染症研究所が全国約3000の小児科定点医療機関から受けている患者報告によると、週当たりの患者数は2018年は10月ごろから増え始めた。その後、近年で最も多い水準で推移する。　都道府県別では、直近1週間（12月10～16日）で1医療機関当たりの患者が最も多いのは宮城（5.64）。以下、東京（2.05）▽埼玉（1.98）▽新潟（1.91）▽岩手（1.87）▽神奈川（1.45）▽山梨（1.33）――などと続く。全国平均は0・88。　妊婦については厚生労働省研究班が11年に全国調査したところ、母親から胎児への感染が69例報告され、うち流産が35人、死産14人、中絶3人。感染者の約半数は自覚症状がなかった。半数以上の人は家族や子どもが発病しており、家庭内での感染に注意する必要がある。　かずえキッズクリニック（東京都渋谷区）の川上一恵院長によると、東京でも昨年秋ごろからはやっているという。「発病前に感染が広がるので予防の難しい面もあるが、妊婦さんは人混みに出るのを控え、出かける時はマスクの着用を心がけてほしい」と話している。]]></summary><author><name>紫苑姫</name></author><published>2019-01-04T11:09:27+00:00</published><updated>2019-01-04T11:09:27+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>両頬がリンゴのような色になる伝染性紅斑（通称・リンゴ病）が首都圏や東北を中心に流行している。主に子どもがかかり、自然によくなることが多い。だが、妊婦が感染すると胎児に悪影響を及ぼし、流産や死産につながる恐れもあり、注意が求められる。</p><p>　リンゴ病はパルボウイルスが原因で、発熱やせき、くしゃみなど風邪と似た症状が出る。くしゃみのしぶきや、手や物の接触を介して広がる。ただ、主症状である紅斑が出た後は、ほぼ感染しなくなる。</p><p>　国立感染症研究所が全国約3000の小児科定点医療機関から受けている患者報告によると、週当たりの患者数は2018年は10月ごろから増え始めた。その後、近年で最も多い水準で推移する。</p><p>　都道府県別では、直近1週間（12月10～16日）で1医療機関当たりの患者が最も多いのは宮城（5.64）。以下、東京（2.05）▽埼玉（1.98）▽新潟（1.91）▽岩手（1.87）▽神奈川（1.45）▽山梨（1.33）――などと続く。全国平均は0・88。</p><p>　妊婦については厚生労働省研究班が11年に全国調査したところ、母親から胎児への感染が69例報告され、うち流産が35人、死産14人、中絶3人。感染者の約半数は自覚症状がなかった。半数以上の人は家族や子どもが発病しており、家庭内での感染に注意する必要がある。</p><p>　かずえキッズクリニック（東京都渋谷区）の川上一恵院長によると、東京でも昨年秋ごろからはやっているという。「発病前に感染が広がるので予防の難しい面もあるが、妊婦さんは人混みに出るのを控え、出かける時はマスクの着用を心がけてほしい」と話している。</p>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[両陛下最後の一般参賀 15万人余訪れ陛下の希望でお出まし追加]]></title><link rel="alternate" href="https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5500778/"></link><id>https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5500778</id><summary><![CDATA[皇居で２日、一般参賀が行われ、天皇陛下が「わが国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります」とあいさつされました。ことし４月の天皇陛下の退位を前に、両陛下が天皇皇后として参賀に応えられるのは２日が最後で、ことしの参賀には平成に入って最も多い15万人余りが訪れました。２日の東京は快晴の天気となり、皇居の正門には開門前の時点で去年を大幅に上回る３万人余りが集まりました。このため予定より15分早く午前9時15分に門が開けられ、待っていた人たちは二重橋を通って宮殿の前に向かいました。宮内庁は、大勢の人が詰めかけたため天皇ご一家が参賀に応えられる回数を１回増やして６回とし、両陛下は皇太子ご夫妻など皇族方とともに宮殿のベランダに立ち、訪れた人たちに笑顔で手を振って応えられました。天皇陛下は「新年おめでとう。晴れ渡った空の下、皆さんとともに新年を祝うことを誠に喜ばしく思います。本年が少しでも多くの人々にとり、よい年となるよう願っています。年頭に当たり、わが国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります」とあいさつされました。ことし４月の天皇陛下の退位を前に、両陛下が天皇皇后として参賀に応えられるのは２日が最後で、６回目が終わったあとも訪れる人の列が続きました。これを受けて両陛下の強い希望で７回目のお出ましが追加され、天皇ご一家は宮殿前に残っていた4000人余りの人たちと新年を祝われました。宮内庁によりますと、ことしの一般参賀には平成に入って最も多かった去年を３万人近く上回る15万4000人余りが訪れたということです。]]></summary><author><name>紫苑姫</name></author><published>2019-01-02T09:07:09+00:00</published><updated>2019-01-02T09:07:09+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>皇居で２日、一般参賀が行われ、天皇陛下が「わが国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります」とあいさつされました。ことし４月の天皇陛下の退位を前に、両陛下が天皇皇后として参賀に応えられるのは２日が最後で、ことしの参賀には平成に入って最も多い15万人余りが訪れました。</p><p>２日の東京は快晴の天気となり、皇居の正門には開門前の時点で去年を大幅に上回る３万人余りが集まりました。</p><p>このため予定より15分早く午前9時15分に門が開けられ、待っていた人たちは二重橋を通って宮殿の前に向かいました。</p><p>宮内庁は、大勢の人が詰めかけたため天皇ご一家が参賀に応えられる回数を１回増やして６回とし、両陛下は皇太子ご夫妻など皇族方とともに宮殿のベランダに立ち、訪れた人たちに笑顔で手を振って応えられました。</p><p>天皇陛下は「新年おめでとう。晴れ渡った空の下、皆さんとともに新年を祝うことを誠に喜ばしく思います。本年が少しでも多くの人々にとり、よい年となるよう願っています。年頭に当たり、わが国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります」とあいさつされました。</p><p>ことし４月の天皇陛下の退位を前に、両陛下が天皇皇后として参賀に応えられるのは２日が最後で、６回目が終わったあとも訪れる人の列が続きました。</p><p>これを受けて両陛下の強い希望で７回目のお出ましが追加され、天皇ご一家は宮殿前に残っていた4000人余りの人たちと新年を祝われました。</p><p>宮内庁によりますと、ことしの一般参賀には平成に入って最も多かった去年を３万人近く上回る15万4000人余りが訪れたということです。</p>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[「きよしこの夜」初演奏から200年 各地で記念イベント]]></title><link rel="alternate" href="https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5457254/"></link><id>https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5457254</id><summary><![CDATA[世界で最も有名なクリスマスソングの一つ、「きよしこの夜」がオーストリアの小さな村で初めて演奏されてから24日でちょうど200年を迎え、各地で記念イベントが企画されています。「きよしこの夜」は、1818年の12月24日にオーストリア中部の人口数千の村、オーベルンドルフの教会で初めて演奏されました。当時、村の人々はナポレオン戦争による混乱に巻き込まれて貧しい暮らしを強いられ、司祭のヨゼフ・モールがドイツ語で書いた詩には、平和への願いが込められているとされています。アメリカのメディアによりますと、「きよしこの夜」はヨーロッパ全土に広まったあと、1840年ごろには海を渡ってアメリカでも演奏されるようになりました。そして、1927年（昭和２年）には、日本の牧師、由木康によって日本語にも翻訳され、今では世界中のおよそ300の言語に翻訳され、歌われているということです。初めての演奏から200年となることしは各地で記念イベントが企画され、オーベルンドルフでは24日、世界中から集まる人たちがそれぞれのことばで「きよしこの夜」を歌うイベントが行われます。地元の観光事務所の担当者は「村ではクリスマス・イブの24日に、例年の倍近い6000人の観光客を見込んでいる」と話しています。]]></summary><author><name>紫苑姫</name></author><published>2018-12-24T00:12:37+00:00</published><updated>2018-12-24T00:12:37+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>世界で最も有名なクリスマスソングの一つ、「きよしこの夜」がオーストリアの小さな村で初めて演奏されてから24日でちょうど200年を迎え、各地で記念イベントが企画されています。</p><p>「きよしこの夜」は、1818年の12月24日にオーストリア中部の人口数千の村、オーベルンドルフの教会で初めて演奏されました。</p><p>当時、村の人々はナポレオン戦争による混乱に巻き込まれて貧しい暮らしを強いられ、司祭のヨゼフ・モールがドイツ語で書いた詩には、平和への願いが込められているとされています。</p><p>アメリカのメディアによりますと、「きよしこの夜」はヨーロッパ全土に広まったあと、1840年ごろには海を渡ってアメリカでも演奏されるようになりました。</p><p>そして、1927年（昭和２年）には、日本の牧師、由木康によって日本語にも翻訳され、今では世界中のおよそ300の言語に翻訳され、歌われているということです。</p><p>初めての演奏から200年となることしは各地で記念イベントが企画され、オーベルンドルフでは24日、世界中から集まる人たちがそれぞれのことばで「きよしこの夜」を歌うイベントが行われます。</p><p>地元の観光事務所の担当者は「村ではクリスマス・イブの24日に、例年の倍近い6000人の観光客を見込んでいる」と話しています。</p>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[天皇陛下　誕生日の会見全文]]></title><link rel="alternate" href="https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5453430/"></link><id>https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5453430</id><summary><![CDATA[宮内記者会の代表質問に対する天皇陛下の回答は次のとおり。　質問　天皇陛下として迎えられる最後の誕生日となりました。陛下が皇后さまとともに歩まれてきた日々はまもなく区切りを迎え、皇室は新たな世代が担っていくこととなります。現在のご心境とともに、いま国民に伝えたいことをお聞かせください。　陛下　この１年を振り返るとき、例年にも増して多かった災害のことは忘れられません。集中豪雨、地震、そして台風などによって多くの人の命が落とされ、また、それまでの生活の基盤を失いました。新聞やテレビを通して災害の様子を知り、また、後日幾つかの被災地を訪れて災害の状況を実際に見ましたが、自然の力は想像を絶するものでした。命を失った人々に追悼の意を表するとともに、被害を受けた人々が一日も早く元の生活を取り戻せるよう願っています。　ちなみに私が初めて被災地を訪問したのは、昭和３４年、昭和天皇の名代として、伊勢湾台風の被害を受けた地域を訪れた時のことでした。　今年も暮れようとしており、来年春の私の譲位の日も近づいてきています。　私は即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、今日までを過ごしてきました。譲位の日を迎えるまで、引き続きその在り方を求めながら、日々の務めを行っていきたいと思います。　第２次世界大戦後の国際社会は、東西の冷戦構造の下にありましたが、平成元年の秋にベルリンの壁が崩れ、冷戦は終焉しゅうえんを迎え、これからの国際社会は平和な時を迎えるのではないかと希望を持ちました。しかしその後の世界の動きは、必ずしも望んだ方向には進みませんでした。世界各地で民族紛争や宗教による対立が発生し、また、テロにより多くの犠牲者が生まれ、さらには、多数の難民が苦難の日々を送っていることに、心が痛みます。　以上のような世界情勢の中で日本は戦後の道のりを歩んできました。終戦を１１歳で迎え、昭和２７年、１８歳の時に成年式、次いで立太子礼を挙げました。その年にサンフランシスコ平和条約が発効し、日本は国際社会への復帰を遂げ、次々と我が国に着任する各国大公使を迎えたことを覚えています。そしてその翌年、英国のエリザベス２世女王陛下の戴冠たいかん式に参列し、その前後、半年余りにわたり諸外国を訪問しました。それから６５年の歳月が流れ、国民皆の努力によって、我が国は国際社会の中で一歩一歩と歩みを進め、平和と繁栄を築いてきました。昭和２８年に奄美群島の復帰が、昭和４３年に小笠原諸島の復帰が、そして昭和４７年に沖縄の復帰が成し遂げられました。沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め、私は皇后と共に１１回訪問を重ね、その歴史や文化を理解するよう努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません。　そうした中で平成の時代に入り、戦後５０年、６０年、７０年の節目の年を迎えました。先の大戦で多くの人命が失われ、また、我が国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵あんどしています。　そして、戦後６０年にサイパン島を、戦後７０年にパラオのペリリュー島を、さらにその翌年フィリピンのカリラヤを慰霊のため訪問したことは忘れられません。皇后と私の訪問を温かく受け入れてくれた各国に感謝します。　次に心に残るのは災害のことです。平成３年の雲仙・普賢岳の噴火、平成５年の北海道南西沖地震と奥尻島の津波被害に始まり、平成７年の阪神・淡路大震災、平成２３年の東日本大震災など数多くの災害が起こり、多くの人命が失われ、数知れぬ人々が被害を受けたことに言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます。ただ、その中で、人々の間にボランティア活動を始め様々な助け合いの気持ちが育まれ、防災に対する意識と対応が高まってきたことには勇気付けられます。また、災害が発生した時に規律正しく対応する人々の姿には、いつも心を打たれています。　障害者を始め困難を抱えている人に心を寄せていくことも、私どもの大切な務めと思い、過ごしてきました。障害者のスポーツは、ヨーロッパでリハビリテーションのために始まったものでしたが、それを越えて、障害者自身がスポーツを楽しみ、さらに、それを見る人も楽しむスポーツとなることを私どもは願ってきました。パラリンピックを始め、国内で毎年行われる全国障害者スポーツ大会を、皆が楽しんでいることを感慨深く思います。　今年、我が国から海外への移住が始まって１５０年を迎えました。この間、多くの日本人は、赴いた地の人々の助けを受けながら努力を重ね、その社会の一員として活躍するようになりました。こうした日系の人たちの努力を思いながら、各国を訪れた際には、できる限り会う機会を持ってきました。そして近年、多くの外国人が我が国で働くようになりました。私どもがフィリピンやベトナムを訪問した際も、将来日本で職業に就くことを目指してその準備に励んでいる人たちと会いました。日系の人たちが各国で助けを受けながら、それぞれの社会の一員として活躍していることに思いを致しつつ、各国から我が国に来て仕事をする人々を、社会の一員として私ども皆が温かく迎えることができるよう願っています。また、外国からの訪問者も年々増えています。この訪問者が我が国を自らの目で見て理解を深め、各国との親善友好関係が進むことを願っています。　明年４月に結婚６０年を迎えます。結婚以来皇后は、常に私と歩みを共にし、私の考えを理解し、私の立場と務めを支えてきてくれました。また、昭和天皇を始め私とつながる人々を大切にし、愛情深く３人の子供を育てました。振り返れば、私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく、現在の皇后と出会い、深い信頼の下、同伴を求め、爾来じらいこの伴侶と共に、これまでの旅を続けてきました。天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、６０年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心からねぎらいたく思います。　そして、来年春に私は譲位し、新しい時代が始まります。多くの関係者がこのための準備に当たってくれていることに感謝しています。新しい時代において、天皇となる皇太子とそれを支える秋篠宮は共に多くの経験を積み重ねてきており、皇室の伝統を引き継ぎながら、日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います。　今年もあと僅わずかとなりました。国民の皆が良い年となるよう願っています。]]></summary><author><name>紫苑姫</name></author><published>2018-12-23T00:28:17+00:00</published><updated>2018-12-23T00:28:17+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>宮内記者会の代表質問に対する天皇陛下の回答は次のとおり。</p><p>　質問　天皇陛下として迎えられる最後の誕生日となりました。陛下が皇后さまとともに歩まれてきた日々はまもなく区切りを迎え、皇室は新たな世代が担っていくこととなります。現在のご心境とともに、いま国民に伝えたいことをお聞かせください。</p><p>　陛下　この１年を振り返るとき、例年にも増して多かった災害のことは忘れられません。集中豪雨、地震、そして台風などによって多くの人の命が落とされ、また、それまでの生活の基盤を失いました。新聞やテレビを通して災害の様子を知り、また、後日幾つかの被災地を訪れて災害の状況を実際に見ましたが、自然の力は想像を絶するものでした。命を失った人々に追悼の意を表するとともに、被害を受けた人々が一日も早く元の生活を取り戻せるよう願っています。</p><p>　ちなみに私が初めて被災地を訪問したのは、昭和３４年、昭和天皇の名代として、伊勢湾台風の被害を受けた地域を訪れた時のことでした。</p><p>　今年も暮れようとしており、来年春の私の譲位の日も近づいてきています。</p><p>　私は即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、今日までを過ごしてきました。譲位の日を迎えるまで、引き続きその在り方を求めながら、日々の務めを行っていきたいと思います。</p><p>　第２次世界大戦後の国際社会は、東西の冷戦構造の下にありましたが、平成元年の秋にベルリンの壁が崩れ、冷戦は終焉しゅうえんを迎え、これからの国際社会は平和な時を迎えるのではないかと希望を持ちました。しかしその後の世界の動きは、必ずしも望んだ方向には進みませんでした。世界各地で民族紛争や宗教による対立が発生し、また、テロにより多くの犠牲者が生まれ、さらには、多数の難民が苦難の日々を送っていることに、心が痛みます。</p><p>　以上のような世界情勢の中で日本は戦後の道のりを歩んできました。終戦を１１歳で迎え、昭和２７年、１８歳の時に成年式、次いで立太子礼を挙げました。その年にサンフランシスコ平和条約が発効し、日本は国際社会への復帰を遂げ、次々と我が国に着任する各国大公使を迎えたことを覚えています。そしてその翌年、英国のエリザベス２世女王陛下の戴冠たいかん式に参列し、その前後、半年余りにわたり諸外国を訪問しました。それから６５年の歳月が流れ、国民皆の努力によって、我が国は国際社会の中で一歩一歩と歩みを進め、平和と繁栄を築いてきました。昭和２８年に奄美群島の復帰が、昭和４３年に小笠原諸島の復帰が、そして昭和４７年に沖縄の復帰が成し遂げられました。沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め、私は皇后と共に１１回訪問を重ね、その歴史や文化を理解するよう努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません。</p><p>　そうした中で平成の時代に入り、戦後５０年、６０年、７０年の節目の年を迎えました。先の大戦で多くの人命が失われ、また、我が国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵あんどしています。</p><p>　そして、戦後６０年にサイパン島を、戦後７０年にパラオのペリリュー島を、さらにその翌年フィリピンのカリラヤを慰霊のため訪問したことは忘れられません。皇后と私の訪問を温かく受け入れてくれた各国に感謝します。</p><p>　次に心に残るのは災害のことです。平成３年の雲仙・普賢岳の噴火、平成５年の北海道南西沖地震と奥尻島の津波被害に始まり、平成７年の阪神・淡路大震災、平成２３年の東日本大震災など数多くの災害が起こり、多くの人命が失われ、数知れぬ人々が被害を受けたことに言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます。ただ、その中で、人々の間にボランティア活動を始め様々な助け合いの気持ちが育まれ、防災に対する意識と対応が高まってきたことには勇気付けられます。また、災害が発生した時に規律正しく対応する人々の姿には、いつも心を打たれています。</p><p>　障害者を始め困難を抱えている人に心を寄せていくことも、私どもの大切な務めと思い、過ごしてきました。障害者のスポーツは、ヨーロッパでリハビリテーションのために始まったものでしたが、それを越えて、障害者自身がスポーツを楽しみ、さらに、それを見る人も楽しむスポーツとなることを私どもは願ってきました。パラリンピックを始め、国内で毎年行われる全国障害者スポーツ大会を、皆が楽しんでいることを感慨深く思います。</p><p>　今年、我が国から海外への移住が始まって１５０年を迎えました。この間、多くの日本人は、赴いた地の人々の助けを受けながら努力を重ね、その社会の一員として活躍するようになりました。こうした日系の人たちの努力を思いながら、各国を訪れた際には、できる限り会う機会を持ってきました。そして近年、多くの外国人が我が国で働くようになりました。私どもがフィリピンやベトナムを訪問した際も、将来日本で職業に就くことを目指してその準備に励んでいる人たちと会いました。日系の人たちが各国で助けを受けながら、それぞれの社会の一員として活躍していることに思いを致しつつ、各国から我が国に来て仕事をする人々を、社会の一員として私ども皆が温かく迎えることができるよう願っています。また、外国からの訪問者も年々増えています。この訪問者が我が国を自らの目で見て理解を深め、各国との親善友好関係が進むことを願っています。</p><p>　明年４月に結婚６０年を迎えます。結婚以来皇后は、常に私と歩みを共にし、私の考えを理解し、私の立場と務めを支えてきてくれました。また、昭和天皇を始め私とつながる人々を大切にし、愛情深く３人の子供を育てました。振り返れば、私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく、現在の皇后と出会い、深い信頼の下、同伴を求め、爾来じらいこの伴侶と共に、これまでの旅を続けてきました。天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、６０年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心からねぎらいたく思います。</p><p>　そして、来年春に私は譲位し、新しい時代が始まります。多くの関係者がこのための準備に当たってくれていることに感謝しています。新しい時代において、天皇となる皇太子とそれを支える秋篠宮は共に多くの経験を積み重ねてきており、皇室の伝統を引き継ぎながら、日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います。</p><p>　今年もあと僅わずかとなりました。国民の皆が良い年となるよう願っています。</p>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[「ネコに助けられた…」普段と違う鳴き声で騒ぎ火事知らせる 飼い主助かるもネコは行方不明]]></title><link rel="alternate" href="https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5442958/"></link><id>https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5442958</id><summary><![CDATA[赤く大きな炎に包まれた住宅…。１９日夜、愛知県刈谷市で起きた住宅火災。出火直後の映像です。　住人の女性は逃げたため無事でしたが、実は…。（記者リポート）「足の悪いおばあさんにいち早く火事を知らせたのはなんとネコだったそうなんです」　そう、火事を知らせ、飼い主の命を救ったのは飼っていた１匹のネコでした。　１９日午後１０時過ぎ、愛知県刈谷市広小路１丁目の都築君代さん（８７）の住宅で、火が上がっていると近所に住む女性から消防に通報がありました。　近所の住民によりますと当時、一階で寝ていた都築さんは、二階の部屋でネコが聞き慣れない声で騒ぐのを聞き、目を覚ましたといいます。　二階の部屋から火が出ているのに気付いた都築さん、その後、近所の女性に助け出されました。都築さんを助けた女性の母親：「（娘が）『お母さん、大変だよ、煙だよ』と言うので、私も外に出たらすごい煙だったんですよ。、うちの娘が（都築さんの）手を握ってここまで歩いてきました。（都築さんは）『ネコのおかげだ』と言っていました、ずっと。『ネコがあんな鳴き声をしなかったら私も知らなかった』と。だからけさも『ネコを捜してきます、私の声を出せば（ネコが）飛び出してくると思う』と言っていました」　命の“恩人”ならぬ、ネコはいないか、私たちも付近を捜しましたが見つかりませんでした。その行方は分かっていないとのことです。　一方、この火事で都築さんの木造２階建ての住宅が全焼していて、警察と消防はけさから現場の実況見分を行い出火の詳しい原因などを調べています。]]></summary><author><name>紫苑姫</name></author><published>2018-12-20T09:43:02+00:00</published><updated>2018-12-20T09:43:02+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>赤く大きな炎に包まれた住宅…。１９日夜、愛知県刈谷市で起きた住宅火災。出火直後の映像です。</p><p>　住人の女性は逃げたため無事でしたが、実は…。</p><p>（記者リポート）</p><p>「足の悪いおばあさんにいち早く火事を知らせたのはなんとネコだったそうなんです」</p><p>　そう、火事を知らせ、飼い主の命を救ったのは飼っていた１匹のネコでした。</p><p>　１９日午後１０時過ぎ、愛知県刈谷市広小路１丁目の都築君代さん（８７）の住宅で、火が上がっていると近所に住む女性から消防に通報がありました。</p><p>　近所の住民によりますと当時、一階で寝ていた都築さんは、二階の部屋でネコが聞き慣れない声で騒ぐのを聞き、目を覚ましたといいます。</p><p>　二階の部屋から火が出ているのに気付いた都築さん、その後、近所の女性に助け出されました。</p><p>都築さんを助けた女性の母親：</p><p>「（娘が）『お母さん、大変だよ、煙だよ』と言うので、私も外に出たらすごい煙だったんですよ。、うちの娘が（都築さんの）手を握ってここまで歩いてきました。（都築さんは）『ネコのおかげだ』と言っていました、ずっと。『ネコがあんな鳴き声をしなかったら私も知らなかった』と。だからけさも『ネコを捜してきます、私の声を出せば（ネコが）飛び出してくると思う』と言っていました」</p><p>　命の“恩人”ならぬ、ネコはいないか、私たちも付近を捜しましたが見つかりませんでした。その行方は分かっていないとのことです。</p><p>　一方、この火事で都築さんの木造２階建ての住宅が全焼していて、警察と消防はけさから現場の実況見分を行い出火の詳しい原因などを調べています。</p>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[「先生の働き過ぎ問題」は保護者に関係ない？　なぜ関心が高まらないのか]]></title><link rel="alternate" href="https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5421074/"></link><id>https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5421074</id><summary><![CDATA[「時間外労働に残業代が出ないのは違法だ」として小学校の先生が訴訟を起こすなど、先生の長時間労働が問題となっています。学校の仕事を削減するには、保護者の理解を得ることも重要なはずですが、現状この問題はさほど保護者の関心を集めていません。　しかし本当は、保護者にも決して無関係な話ではないでしょう。先生たちが疲弊して余裕がなくなるほど、影響を受けるのは子どもたちです。保護者も、子どもたちが受ける教育や毎日を過ごす学校環境の質の低下を望んではいません。質を保つ、あるいは向上するために、先生の仕事削減は意味をもつはずです。　では、この問題について保護者の関心を高め、先生の仕事の削減に理解を得ていくためには、どうしたらいいのか？　いくつか、思うところを書いてみたいと思います。＊子どもたちに影響する問題だということを伝える　一番は、冒頭に書いたようなこと――「先生たちが疲弊して余裕がなくなれば、その影響を受けるのは子どもたちだ」ということを、もっと伝えたほうがいいのではないか、と感じます。　「先生はこんなに長時間労働で大変だ」というだけでは、たぶん保護者は振り向きません。「もっとひどい働き方をしている」とか、より厳しい条件で働く保護者も多いため、「それは大変だ、なんとかしよう」とは思いづらいのでしょう（申し訳ないですが筆者自身もそうです）。　先生の大変さだけでなく「子どもたちに影響が出る」、あるいは「出ている」ということを伝えたほうが、関心を引くのでは。　現状、先生たちは疲れていても、なんとか頑張ってカバーしてくれているため目立たないのだとは思いますが、でもやはり、よく見れば影響はいろいろ出ていると思います。　たとえば、最近話題の「ブラック校則」。先生のなかにも「おかしい、変えたい」と思う人は少なからずいるのですが、現状は忙しくて、変えるのに手がまわらないのだという声も聞きます。　「既に影響が出ている部分」を伝えると、より届きやすくなるのではないでしょうか。＊保護者の仕事も増やさない（と伝える）　先生の仕事を減らすのはいいとしても、代わりに保護者の仕事が増えるのでは、やはり理解は得づらいでしょう。もちろん手伝いたいと思う人が手伝うのはいいですが、先生の無償労働を保護者の無償労働に変換するだけでは埒が明きません。　筆者も一番心配なのはこの点です。たとえば部活動。指導する先生の負担軽減には大賛成ですが、「外部化」という言葉にはどうしても不安がよぎります。保護者が請け負うのだと、小学校の外部化した部活動のように「時間とパワーとコミュ力のある親（母）をもつ子どもしか参加できないもの」になりそうです。（ピンとこない方は『七人の敵がいる』（加納朋子著　集英社　2010）第5章をお読みください）　個人的な考えですが、部活がもしそんなふうに一部の子どもしか参加できない、つまり望んでも参加できない子どもが出るものになるなら（※）、学校でやらないほうがいいと思います。もしどうしても学校の校庭を使うなら、土日だけとか、望んでも参加できない子の目につかない時間帯に設定してはどうでしょうか。　働き方改革の詳細はこれから検討されるのでしょうが、先生も保護者もどちらも楽になる方向で考えてほしいです。先生と同様、いまは保護者にも余裕がないので、お互いに仕事を減らしていく必要があるはずです。　その方向が伝われば、保護者の理解も進みやすくなるのではないでしょうか。※現状も、部費やユニフォーム代、遠征の交通費等を負担できないために部活への参加をあきらめる子どもは大勢います。このことについても、よくよく考える必要があると思います＊PTA・P連を通さず、保護者全体に直接伝える　「学校における働き方改革」の話では、「保護者の理解を得るためにPTAの協力を得る」というフレーズをよく見かけますが、良し悪しは別に、PTAやP連（自治体ごとにつくられるPTAのネットワーク組織）を通して保護者全体に情報が伝わることは、現状ほぼ考えられません。　学校や教育委員会、文部科学省は、お手紙を出すなりマスコミを使うなりして、もっと直接、保護者全体に伝える努力をする必要があると思います。そのうえで、PTAの協力を得るように努力するのがいいのでは。　現状P連やPTAは、学校や教委、文科省が「保護者と協議した」というアリバイのように使われている面があると感じますが（P連の会長さんなどからは「自治体の各種会合にしょっちゅう呼ばれて辛い」という嘆きを大変よく聞きます）、そこで出た情報が、保護者全体に共有されることはまずありません。多くの保護者は、P連や日P（日本PTA全国協議会＝P連の全国組織）の存在すら知らないのです。　P連も日Pも、情報共有について改善の余地はあると思いますが、もともと行政の情報伝達をするための組織ではないので、伝わらないのはある意味当然でしょう。　また現状は、PTAのなかにも、先生の仕事を減らすことに対して賛成の人もいれば反対の人もいるので、団体として協力（賛成）するというのは、なかなか難しいことではないかとも思います。　ですからやはり学校や教委、文科省は横着せず、まずは保護者全体に、もっと直接伝える努力をしたほうがいいのではと感じます。　以上、思うところをあげてみました。先生たちのなかには、「保護者の理解がないせいで長時間労働が減らない」と感じている方も多いようですが、まずは何しろ、保護者への説明が足りていないと感じます。　学校における保護者の声の取り上げ方についても、改善してほしいところがあるのですが、こちらはまた別に書きたいと思います。]]></summary><author><name>紫苑姫</name></author><published>2018-12-16T02:54:14+00:00</published><updated>2018-12-16T02:54:14+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>「時間外労働に残業代が出ないのは違法だ」として小学校の先生が訴訟を起こすなど、先生の長時間労働が問題となっています。学校の仕事を削減するには、保護者の理解を得ることも重要なはずですが、現状この問題はさほど保護者の関心を集めていません。</p><p>　しかし本当は、保護者にも決して無関係な話ではないでしょう。先生たちが疲弊して余裕がなくなるほど、影響を受けるのは子どもたちです。保護者も、子どもたちが受ける教育や毎日を過ごす学校環境の質の低下を望んではいません。質を保つ、あるいは向上するために、先生の仕事削減は意味をもつはずです。</p><p>　では、この問題について保護者の関心を高め、先生の仕事の削減に理解を得ていくためには、どうしたらいいのか？　いくつか、思うところを書いてみたいと思います。</p><p>＊子どもたちに影響する問題だということを伝える</p><p>　一番は、冒頭に書いたようなこと――「先生たちが疲弊して余裕がなくなれば、その影響を受けるのは子どもたちだ」ということを、もっと伝えたほうがいいのではないか、と感じます。</p><p>　「先生はこんなに長時間労働で大変だ」というだけでは、たぶん保護者は振り向きません。「もっとひどい働き方をしている」とか、より厳しい条件で働く保護者も多いため、「それは大変だ、なんとかしよう」とは思いづらいのでしょう（申し訳ないですが筆者自身もそうです）。</p><p>　先生の大変さだけでなく「子どもたちに影響が出る」、あるいは「出ている」ということを伝えたほうが、関心を引くのでは。</p><p>　現状、先生たちは疲れていても、なんとか頑張ってカバーしてくれているため目立たないのだとは思いますが、でもやはり、よく見れば影響はいろいろ出ていると思います。</p><p>　たとえば、最近話題の「ブラック校則」。先生のなかにも「おかしい、変えたい」と思う人は少なからずいるのですが、現状は忙しくて、変えるのに手がまわらないのだという声も聞きます。</p><p>　「既に影響が出ている部分」を伝えると、より届きやすくなるのではないでしょうか。</p><p>＊保護者の仕事も増やさない（と伝える）</p><p>　先生の仕事を減らすのはいいとしても、代わりに保護者の仕事が増えるのでは、やはり理解は得づらいでしょう。もちろん手伝いたいと思う人が手伝うのはいいですが、先生の無償労働を保護者の無償労働に変換するだけでは埒が明きません。</p><p>　筆者も一番心配なのはこの点です。たとえば部活動。指導する先生の負担軽減には大賛成ですが、「外部化」という言葉にはどうしても不安がよぎります。保護者が請け負うのだと、小学校の外部化した部活動のように「時間とパワーとコミュ力のある親（母）をもつ子どもしか参加できないもの」になりそうです。（ピンとこない方は『七人の敵がいる』（加納朋子著　集英社　2010）第5章をお読みください）</p><p>　個人的な考えですが、部活がもしそんなふうに一部の子どもしか参加できない、つまり望んでも参加できない子どもが出るものになるなら（※）、学校でやらないほうがいいと思います。もしどうしても学校の校庭を使うなら、土日だけとか、望んでも参加できない子の目につかない時間帯に設定してはどうでしょうか。</p><p>　働き方改革の詳細はこれから検討されるのでしょうが、先生も保護者もどちらも楽になる方向で考えてほしいです。先生と同様、いまは保護者にも余裕がないので、お互いに仕事を減らしていく必要があるはずです。</p><p>　その方向が伝われば、保護者の理解も進みやすくなるのではないでしょうか。</p><p>※現状も、部費やユニフォーム代、遠征の交通費等を負担できないために部活への参加をあきらめる子どもは大勢います。このことについても、よくよく考える必要があると思います</p><p>＊PTA・P連を通さず、保護者全体に直接伝える</p><p>　「学校における働き方改革」の話では、「保護者の理解を得るためにPTAの協力を得る」というフレーズをよく見かけますが、良し悪しは別に、PTAやP連（自治体ごとにつくられるPTAのネットワーク組織）を通して保護者全体に情報が伝わることは、現状ほぼ考えられません。</p><p>　学校や教育委員会、文部科学省は、お手紙を出すなりマスコミを使うなりして、もっと直接、保護者全体に伝える努力をする必要があると思います。そのうえで、PTAの協力を得るように努力するのがいいのでは。</p><p>　現状P連やPTAは、学校や教委、文科省が「保護者と協議した」というアリバイのように使われている面があると感じますが（P連の会長さんなどからは「自治体の各種会合にしょっちゅう呼ばれて辛い」という嘆きを大変よく聞きます）、そこで出た情報が、保護者全体に共有されることはまずありません。多くの保護者は、P連や日P（日本PTA全国協議会＝P連の全国組織）の存在すら知らないのです。</p><p>　P連も日Pも、情報共有について改善の余地はあると思いますが、もともと行政の情報伝達をするための組織ではないので、伝わらないのはある意味当然でしょう。</p><p>　また現状は、PTAのなかにも、先生の仕事を減らすことに対して賛成の人もいれば反対の人もいるので、団体として協力（賛成）するというのは、なかなか難しいことではないかとも思います。</p><p>　ですからやはり学校や教委、文科省は横着せず、まずは保護者全体に、もっと直接伝える努力をしたほうがいいのではと感じます。</p><p>　以上、思うところをあげてみました。先生たちのなかには、「保護者の理解がないせいで長時間労働が減らない」と感じている方も多いようですが、まずは何しろ、保護者への説明が足りていないと感じます。</p><p>　学校における保護者の声の取り上げ方についても、改善してほしいところがあるのですが、こちらはまた別に書きたいと思います。</p>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[停車中の電車使い　視覚障害者が福知山駅で乗降訓練]]></title><link rel="alternate" href="https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5372576/"></link><id>https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5372576</id><summary><![CDATA[京都府福知山市の視覚障害者協会（田村敏明会長）はこのほど、市の事業に参加してJR福知山駅構内で歩行訓練をした。駅が協力して、実際の電車を使った乗降の練習もした。田村会長は「市、駅、訓練士のみなさんの協力のおかげで大変意義のある訓練ができました」と喜んでいた。　市在宅障害者デイ・サービス事業視覚障害者歩行訓練講座での取り組みで、協会員とガイドヘルパーら18人が参加した。　谷口博之駅長の案内で駅構内を回り、コンコースの点字案内板や切符販売機の点字標記、トイレでの音声案内などのバリアフリー対策について説明を受けた。　歩行訓練は、視覚障害者への支援活動をする京都ライトハウスの訓練士から白杖の使い方、点字誘導ブロックの歩き方などを教わりながら実践した。　ホームでは、折り返し待ちのために30分ほど停車中の電車を使い、乗り降りやドアの位置を確認しながら開閉ボタンを押す練習を繰り返した。ホームと電車の間にできる隙間につまづいたりしないように、あらかじめ白杖で幅を確かめて安全確認することも学んだ。　谷口駅長は「電車を使ったことがない方もいらっしゃると聞いたので、バリアフリー対策を含め駅のことを知ってもらえ、実践訓練でも役立つことができてよかったです」と話していた。]]></summary><author><name>紫苑姫</name></author><published>2018-12-06T23:22:13+00:00</published><updated>2018-12-06T23:22:13+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>京都府福知山市の視覚障害者協会（田村敏明会長）はこのほど、市の事業に参加してJR福知山駅構内で歩行訓練をした。駅が協力して、実際の電車を使った乗降の練習もした。田村会長は「市、駅、訓練士のみなさんの協力のおかげで大変意義のある訓練ができました」と喜んでいた。</p><p>　市在宅障害者デイ・サービス事業視覚障害者歩行訓練講座での取り組みで、協会員とガイドヘルパーら18人が参加した。</p><p>　谷口博之駅長の案内で駅構内を回り、コンコースの点字案内板や切符販売機の点字標記、トイレでの音声案内などのバリアフリー対策について説明を受けた。</p><p>　歩行訓練は、視覚障害者への支援活動をする京都ライトハウスの訓練士から白杖の使い方、点字誘導ブロックの歩き方などを教わりながら実践した。</p><p>　ホームでは、折り返し待ちのために30分ほど停車中の電車を使い、乗り降りやドアの位置を確認しながら開閉ボタンを押す練習を繰り返した。ホームと電車の間にできる隙間につまづいたりしないように、あらかじめ白杖で幅を確かめて安全確認することも学んだ。</p><p>　谷口駅長は「電車を使ったことがない方もいらっしゃると聞いたので、バリアフリー対策を含め駅のことを知ってもらえ、実践訓練でも役立つことができてよかったです」と話していた。</p>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[動物ふれあい施設の豚 検査せず処分 豚コレラ感染予防で]]></title><link rel="alternate" href="https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5357006/"></link><id>https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5357006</id><summary><![CDATA[岐阜県で豚や野生のイノシシへの豚コレラの感染が広がる中、美濃加茂市の県営公園にある動物とのふれ合い施設で飼育されていた２頭の豚が感染を予防する目的で検査を行わないまま処分されていたことがわかりました。豚を処分していたのは岐阜県が運営する美濃加茂市の「ぎふ清流里山公園」です。岐阜県によりますと、この公園では動物とのふれ合い施設で２頭のミニブタを飼育していましたが、先月22日、公園を管理する事業者から「感染を確実に防ぐため処分したい」と県に連絡があったということです。これに対し県は「やむをえない」という判断を伝え、事業者は検査を行わないまま27日に２頭を処分したということです。岐阜県では岐阜市の養豚場や公園で飼育されていた豚が豚コレラに感染していたほか、岐阜市など７つの市と町で62頭の野生のイノシシへの感染が確認されていますが、美濃加茂市では確認されていませんでした。ぎふ清流里山公園の半径10キロ以内には養豚場や県の畜産研究所が合わせて６か所あり、岐阜県はＮＨＫの取材に対して「感染拡大のリスクを最小限にとどめるため、やむをえず処分した」と話しています。]]></summary><author><name>紫苑姫</name></author><published>2018-12-04T02:48:26+00:00</published><updated>2018-12-04T02:48:26+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>岐阜県で豚や野生のイノシシへの豚コレラの感染が広がる中、美濃加茂市の県営公園にある動物とのふれ合い施設で飼育されていた２頭の豚が感染を予防する目的で検査を行わないまま処分されていたことがわかりました。</p><p>豚を処分していたのは岐阜県が運営する美濃加茂市の「ぎふ清流里山公園」です。</p><p>岐阜県によりますと、この公園では動物とのふれ合い施設で２頭のミニブタを飼育していましたが、先月22日、公園を管理する事業者から「感染を確実に防ぐため処分したい」と県に連絡があったということです。</p><p>これに対し県は「やむをえない」という判断を伝え、事業者は検査を行わないまま27日に２頭を処分したということです。</p><p>岐阜県では岐阜市の養豚場や公園で飼育されていた豚が豚コレラに感染していたほか、岐阜市など７つの市と町で62頭の野生のイノシシへの感染が確認されていますが、美濃加茂市では確認されていませんでした。</p><p>ぎふ清流里山公園の半径10キロ以内には養豚場や県の畜産研究所が合わせて６か所あり、岐阜県はＮＨＫの取材に対して「感染拡大のリスクを最小限にとどめるため、やむをえず処分した」と話しています。</p>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[ソニー、半導体増産してもCO2増やしません！]]></title><link rel="alternate" href="https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5356616/"></link><id>https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5356616</id><summary><![CDATA[ソニーは熊本県菊陽町の半導体製造拠点に太陽光発電設備を導入する。2019年1月に稼働後、発電した電気を操業に使う。パナソニックも家電リサイクル工場を再生エネ電気で操業できるようにした。二酸化炭素（CO2）を排出しない脱炭素を目指す企業が投資家や取引先から評価されており、日本の製造業にも再生エネの利用が広がってきた。　半導体子会社のソニーセミコンダクタマニュファクチャリングが、熊本テクノロジーセンター1号棟の屋上に太陽光パネル5760枚を取り付ける。出力は1065キロワットで、年124万キロワット時を発電し、クリーンルームの空調の運転に使う。災害時には近隣の公園に電力を供給する。　ソニーは事業で使う電気のうち現状5％の再生エネ比率を40年に100％にする。9月には電気全量を再生エネ化する国際組織「RE100」に加盟した。欧州拠点は再生エネ電気で事業運営しており、米国も30年までに転換する。電力消費が多い半導体工場を抱える国内が課題となっており、再生エネを使ったとみなせる証書の活用や水力発電所からの電気の購入も始めている。　パナソニックは兵庫県加東市の家電リサイクル工場の電気全量を実質、再生エネ化した。水力発電の電気や再生エネ価値を持つ国の証書を購入して実現した。他の拠点でも太陽光パネルの設置などを進めており、17年度はグループ全体で2100万キロワット時の再生エネ電気を利用した。　再生エネの活用を評価基準とするESG（環境・社会・企業統治）投資が広がっている。また調達先に再生エネの利用を呼びかける外資企業もあり、再生エネの導入が企業価値と直結するようになった。RE100にも日本の製造業からリコー、富士通などが参加し、脱炭素化を目指している。]]></summary><author><name>紫苑姫</name></author><published>2018-12-04T01:22:44+00:00</published><updated>2018-12-04T01:22:44+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>ソニーは熊本県菊陽町の半導体製造拠点に太陽光発電設備を導入する。2019年1月に稼働後、発電した電気を操業に使う。パナソニックも家電リサイクル工場を再生エネ電気で操業できるようにした。二酸化炭素（CO2）を排出しない脱炭素を目指す企業が投資家や取引先から評価されており、日本の製造業にも再生エネの利用が広がってきた。</p><p>　半導体子会社のソニーセミコンダクタマニュファクチャリングが、熊本テクノロジーセンター1号棟の屋上に太陽光パネル5760枚を取り付ける。出力は1065キロワットで、年124万キロワット時を発電し、クリーンルームの空調の運転に使う。災害時には近隣の公園に電力を供給する。</p><p>　ソニーは事業で使う電気のうち現状5％の再生エネ比率を40年に100％にする。9月には電気全量を再生エネ化する国際組織「RE100」に加盟した。欧州拠点は再生エネ電気で事業運営しており、米国も30年までに転換する。電力消費が多い半導体工場を抱える国内が課題となっており、再生エネを使ったとみなせる証書の活用や水力発電所からの電気の購入も始めている。</p><p>　パナソニックは兵庫県加東市の家電リサイクル工場の電気全量を実質、再生エネ化した。水力発電の電気や再生エネ価値を持つ国の証書を購入して実現した。他の拠点でも太陽光パネルの設置などを進めており、17年度はグループ全体で2100万キロワット時の再生エネ電気を利用した。</p><p>　再生エネの活用を評価基準とするESG（環境・社会・企業統治）投資が広がっている。また調達先に再生エネの利用を呼びかける外資企業もあり、再生エネの導入が企業価値と直結するようになった。RE100にも日本の製造業からリコー、富士通などが参加し、脱炭素化を目指している。</p>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[介護に疲れ67歳の母を絞殺した41歳娘の告白 ｢痛みのない世界へ連れて行きたかった｣]]></title><link rel="alternate" href="https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5345468/"></link><id>https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5345468</id><summary><![CDATA[すべての「家族」が仲良く、手を取り合って暮らせるわけではありません。中には親子やきょうだい同士で激しく憎しみ合い、争いの末、裁判や事件にまで発展してしまう家族もいます。本連載では、長年傍聴ライターとして活動し続ける高橋ユキが、裁判の傍聴を通じて「現代の家族が抱える問題」に焦点を当てます。少しぽっちゃりした体型に紺色のポロシャツ、天然パーマ気味で白髪混じりのボブヘア。近所のスーパーで買い物でもしていそうな、どこにでもいる風貌だ。被告である彼女は2015年10月、介護疲れの果てに自分の母親(67歳＝当時)の首を絞めて殺害した。　「お母さんを、痛みのない世界へ連れて行きたかった。そして介護から解放されたいという気持ちがありました」　2016年9月のさいたま地裁301号法廷。法廷に佐々木由美被告(仮名、41歳＝当時)のおえつ交じりの言葉が響く。公判で明かされたのは、その孤独な介護生活の末の決断だった。　「母がうつらうつらしているとき、ベッドの右側に立ち、首を両手で絞めました。……最初、向き合って絞めていたんですけど、疲れてしまって、ベッドにまたがって、同じように両手で首を絞めました。そのあと、お母さんの口から『くーっ』ていう声が、苦しいのか、空気が抜けるような感じで聞こえて、私の右手をつかむ感覚がありました。……それで、母が、抵抗してきたと思ったんですが、私はそのまま首を絞め続けました」生きる気力を失った母親　被告の母親は「脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう)」を患っていた。脊柱管には背骨、椎間板、関節、黄色靱帯などで囲まれた脊髄の神経が通る。これが背骨の変形や椎間板が膨らむことなどによって狭くなり、神経を圧迫する。下肢の痛みやしびれなどが主な症状だが、進行すると下肢の力が低下し、尿もれなどが起こる。　事件から2年前、母親はリハビリ中に腰を強く痛め要介護3となった。これを悲観し、母親は同年10月、手首を切り病院に搬送された。さらに事件前年の3月、自身で首も切ったという。　一方、佐々木被告のほうも長らくうつ病を患っていた。母親の2度目の自殺未遂は、佐々木被告に大きな衝撃を与えた。　「買い物から帰ってきてベッドのところに行ったら、首から血を流してました。ショックを受けて……自分が介護してるのに2回も自殺未遂……自分が介護してていいのかなと思いました」　加えて、佐々木被告はこれ以前から、母の介護をめぐり弟からたびたび意見も受けていた。　一家は二世帯住宅に住んでいた。1階には佐々木被告と母親、そして佐々木被告の弟。2階には佐々木被告の兄とその妻、彼らの子ども2人。母の介護は主に佐々木被告が担っていたが弟もかかわっていた。ただ、その弟が佐々木被告を追いつめていた面がある。　「母が息苦しいと言っていたので病院に行き薬を調整してもらいました。その後、(弟から)『お母さんを自分の安心する道具にするな、自分が安心したいがために病院を連れまわすな』と言われました」不安の末、被告は自殺を試みる　介護について意見を交わすというより、弟の意見に従う生活を続けていたようだ。　「弟はショートステイに反対で『初めてのところに泊まりに行かせると、自宅でやっているように関節を動かしてあげたりマッサージなどができないから、余計に体が動かなくなる』と言っていました。私は月に1回でも利用させてみたいと思っていたけど、弟には言えませんでした。たとえば『向こうでケガしたらどうする、責任取れるのか』と……。そういうふうに言われたら、利用させたいけど、言えなくなってしまった」　事件直前、佐々木被告が作った食事の内容でもめて、弟が兄夫婦一家の住む2階へ“家出”する。数日間、母との2人暮らしとなった被告は不安が高まり、「入水自殺」を試みている。　「お母さんは寝たきりで要介護、重症なほうなので、何かあったときに1人で対処できるか、心配で心細かったです。3日目の夜、薬を持って、自転車に乗って、川に向かいました。死のうと思ってたからです。そこにいるのがいたたまれなくなって、1人で心細くて……。心が弱い、ってのはあったと思うんですけど、薬を飲んで川に入りました」　だが死ぬことはできず、ずぶ濡れで帰宅した。　実は事件直前、母親は要介護4の認定を受けた。そのため本来ならば翌月から訪問リハビリが可能になるはず。だが、これも被告にとっては肉体的負担や心理的負担を取り除くニュースではなかった。　「ケアマネさんが、こんなことができるようになると、いろいろな話をしてくださいましたが、ショートステイも弟が利用するのを嫌がっていたので……自宅で看たいと……。あと以前、福祉課で断られていたので期待してなかったです」なぜ母親を手に掛けたのか　事件当日、母親と2人で夕食を食べた後のことを問われ、佐々木被告はやはり泣きながらこう語った。　「ご飯の後、自分のベッドに戻って『どっか痛い？』と聞くとやっぱり『足痛い』とか『腰痛い』とか言われる。だから私は一応さすってあげる……。20時くらいになり、急に母がいつも以上に足を痛がりはじめて、私はさすってあげてたんですが、今まで以上に『痛い、痛い』と……。一生懸命さすっていたら、一時は効いたみたいで和らいだのか静かになり、でもまたしばらくしてぶり返したのか、痛い痛いと……。私がさすろうとしたら『痛いから触らないで』と言われ、何もできなくなりました。こう言われたことは前にもあったんですけど、この日、いつも以上に顔が痛そうで……」　その結果「痛みのない世界へ連れて行きたい。介護から解放されたい」と母親に手を掛けた。ギリギリまで追いつめられた末の悲劇だった。　被告にはこの公判で懲役3年、執行猶予4年の判決が下された(求刑懲役5年)。執行猶予がついたのは、弁護側が「圧倒的なうつの影響で心神喪失にあった」と主張して、うつ病による心神耗弱が認められたことが大きい。　介護殺人については、事件が起きるたびに多くのメディアが高齢化社会の“負の側面”として報じてきたが、現在もその構図に変化はない。　厚生労働省「平成28年度『高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律』に基づく対応状況等に関する調査結果」内にある『高齢者虐待の年度別虐待による死亡例の推移』は、毎年20数件と横ばい状態が続く。　対して同省が発表している「自殺の統計」によれば、介護や看病を理由にした自殺者数は毎年200を超える。事実、介護殺人の公判では被告のように殺害前後に自殺を試みている被告が多い。　家族同士の助け合いや苦労を美徳とする価値観がいまだ根強いなか、家族を殺す、もしくは自分で命を絶つことを考えるほど追いつめられた介護者に対する効果的な対策は講じられていないのが現状である。 1234  MSNの記事をもっと読む左から純子さん、貴景勝、一哉さん（共同通信社）貴景勝の「美しすぎる母親」 正体は芦屋生…NEWSポストセブン11月3日、福岡の「炭坑節まつり」にそろって参加していた景子さんと貴乃花離婚の貴乃花 景子さんは泣きながら「協会に…NEWSポストセブン山崎夕貴アナウンサー山崎アナ、ダンディ坂野にファンレターの過…デイリースポーツ]]></summary><author><name>紫苑姫</name></author><published>2018-12-01T23:30:51+00:00</published><updated>2018-12-01T23:30:51+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>すべての「家族」が仲良く、手を取り合って暮らせるわけではありません。中には親子やきょうだい同士で激しく憎しみ合い、争いの末、裁判や事件にまで発展してしまう家族もいます。本連載では、長年傍聴ライターとして活動し続ける高橋ユキが、裁判の傍聴を通じて「現代の家族が抱える問題」に焦点を当てます。</p><p>少しぽっちゃりした体型に紺色のポロシャツ、天然パーマ気味で白髪混じりのボブヘア。近所のスーパーで買い物でもしていそうな、どこにでもいる風貌だ。被告である彼女は2015年10月、介護疲れの果てに自分の母親(67歳＝当時)の首を絞めて殺害した。</p><p>　「お母さんを、痛みのない世界へ連れて行きたかった。そして介護から解放されたいという気持ちがありました」</p><p>　2016年9月のさいたま地裁301号法廷。法廷に佐々木由美被告(仮名、41歳＝当時)のおえつ交じりの言葉が響く。公判で明かされたのは、その孤独な介護生活の末の決断だった。</p><p>　「母がうつらうつらしているとき、ベッドの右側に立ち、首を両手で絞めました。……最初、向き合って絞めていたんですけど、疲れてしまって、ベッドにまたがって、同じように両手で首を絞めました。そのあと、お母さんの口から『くーっ』ていう声が、苦しいのか、空気が抜けるような感じで聞こえて、私の右手をつかむ感覚がありました。……それで、母が、抵抗してきたと思ったんですが、私はそのまま首を絞め続けました」</p><p>生きる気力を失った母親</p><p>　被告の母親は「脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう)」を患っていた。脊柱管には背骨、椎間板、関節、黄色靱帯などで囲まれた脊髄の神経が通る。これが背骨の変形や椎間板が膨らむことなどによって狭くなり、神経を圧迫する。下肢の痛みやしびれなどが主な症状だが、進行すると下肢の力が低下し、尿もれなどが起こる。</p><p>　事件から2年前、母親はリハビリ中に腰を強く痛め要介護3となった。これを悲観し、母親は同年10月、手首を切り病院に搬送された。さらに事件前年の3月、自身で首も切ったという。</p><p>　一方、佐々木被告のほうも長らくうつ病を患っていた。母親の2度目の自殺未遂は、佐々木被告に大きな衝撃を与えた。</p><p>　「買い物から帰ってきてベッドのところに行ったら、首から血を流してました。ショックを受けて……自分が介護してるのに2回も自殺未遂……自分が介護してていいのかなと思いました」</p><p>　加えて、佐々木被告はこれ以前から、母の介護をめぐり弟からたびたび意見も受けていた。</p><p>　一家は二世帯住宅に住んでいた。1階には佐々木被告と母親、そして佐々木被告の弟。2階には佐々木被告の兄とその妻、彼らの子ども2人。母の介護は主に佐々木被告が担っていたが弟もかかわっていた。ただ、その弟が佐々木被告を追いつめていた面がある。</p><p>　「母が息苦しいと言っていたので病院に行き薬を調整してもらいました。その後、(弟から)『お母さんを自分の安心する道具にするな、自分が安心したいがために病院を連れまわすな』と言われました」</p><p>不安の末、被告は自殺を試みる</p><p>　介護について意見を交わすというより、弟の意見に従う生活を続けていたようだ。</p><p>　「弟はショートステイに反対で『初めてのところに泊まりに行かせると、自宅でやっているように関節を動かしてあげたりマッサージなどができないから、余計に体が動かなくなる』と言っていました。私は月に1回でも利用させてみたいと思っていたけど、弟には言えませんでした。たとえば『向こうでケガしたらどうする、責任取れるのか』と……。そういうふうに言われたら、利用させたいけど、言えなくなってしまった」</p><p>　事件直前、佐々木被告が作った食事の内容でもめて、弟が兄夫婦一家の住む2階へ“家出”する。数日間、母との2人暮らしとなった被告は不安が高まり、「入水自殺」を試みている。</p><p>　「お母さんは寝たきりで要介護、重症なほうなので、何かあったときに1人で対処できるか、心配で心細かったです。3日目の夜、薬を持って、自転車に乗って、川に向かいました。死のうと思ってたからです。そこにいるのがいたたまれなくなって、1人で心細くて……。心が弱い、ってのはあったと思うんですけど、薬を飲んで川に入りました」</p><p>　だが死ぬことはできず、ずぶ濡れで帰宅した。</p><p>　実は事件直前、母親は要介護4の認定を受けた。そのため本来ならば翌月から訪問リハビリが可能になるはず。だが、これも被告にとっては肉体的負担や心理的負担を取り除くニュースではなかった。</p><p>　「ケアマネさんが、こんなことができるようになると、いろいろな話をしてくださいましたが、ショートステイも弟が利用するのを嫌がっていたので……自宅で看たいと……。あと以前、福祉課で断られていたので期待してなかったです」</p><p>なぜ母親を手に掛けたのか</p><p>　事件当日、母親と2人で夕食を食べた後のことを問われ、佐々木被告はやはり泣きながらこう語った。</p><p>　「ご飯の後、自分のベッドに戻って『どっか痛い？』と聞くとやっぱり『足痛い』とか『腰痛い』とか言われる。だから私は一応さすってあげる……。20時くらいになり、急に母がいつも以上に足を痛がりはじめて、私はさすってあげてたんですが、今まで以上に『痛い、痛い』と……。一生懸命さすっていたら、一時は効いたみたいで和らいだのか静かになり、でもまたしばらくしてぶり返したのか、痛い痛いと……。私がさすろうとしたら『痛いから触らないで』と言われ、何もできなくなりました。こう言われたことは前にもあったんですけど、この日、いつも以上に顔が痛そうで……」</p><p>　その結果「痛みのない世界へ連れて行きたい。介護から解放されたい」と母親に手を掛けた。ギリギリまで追いつめられた末の悲劇だった。</p><p>　被告にはこの公判で懲役3年、執行猶予4年の判決が下された(求刑懲役5年)。執行猶予がついたのは、弁護側が「圧倒的なうつの影響で心神喪失にあった」と主張して、うつ病による心神耗弱が認められたことが大きい。</p><p>　介護殺人については、事件が起きるたびに多くのメディアが高齢化社会の“負の側面”として報じてきたが、現在もその構図に変化はない。</p><p>　厚生労働省「平成28年度『高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律』に基づく対応状況等に関する調査結果」内にある『高齢者虐待の年度別虐待による死亡例の推移』は、毎年20数件と横ばい状態が続く。</p><p>　対して同省が発表している「自殺の統計」によれば、介護や看病を理由にした自殺者数は毎年200を超える。事実、介護殺人の公判では被告のように殺害前後に自殺を試みている被告が多い。</p><p>　家族同士の助け合いや苦労を美徳とする価値観がいまだ根強いなか、家族を殺す、もしくは自分で命を絶つことを考えるほど追いつめられた介護者に対する効果的な対策は講じられていないのが現状である。</p><p> </p><p>1</p><p>2</p><p>3</p><p>4</p><p>  </p><p>MSNの記事をもっと読む</p><p>左から純子さん、貴景勝、一哉さん（共同通信社）</p><p>貴景勝の「美しすぎる母親」 正体は芦屋生…</p><p>NEWSポストセブン</p><p>11月3日、福岡の「炭坑節まつり」にそろって参加していた景子さんと貴乃花</p><p>離婚の貴乃花 景子さんは泣きながら「協会に…</p><p>NEWSポストセブン</p><p>山崎夕貴アナウンサー</p><p>山崎アナ、ダンディ坂野にファンレターの過…</p><p>デイリースポーツ</p>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[“学校朝食”で学力アップ？各地で広がる]]></title><link rel="alternate" href="https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5310809/"></link><id>https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5310809</id><summary><![CDATA[朝７時半過ぎ、登校した小学生たちが食べているのは「きつねうどん」。友達と一緒に朝食です。いま学校で朝食を提供する取り組みが広まっています。子どもたち「うまい、テンションが上がる」「友達がいるから一緒に行きたいなって」大阪市立西淡路小学校では２年前から毎週月・水・金曜日に朝食を提供。作るのは６０代～８０代の地域ボランティアです。市の補助を受けていて自己負担は１食５０円ほどです。共働き世帯の増加で多くの家庭で時間がかけられない朝食。実はこの朝食が学力アップにつながっているというのです。朝食を毎日食べている生徒とまったく食べない生徒では１５％以上も正答率に差が出た調査も。福永校長「朝ごはんをしっかり食べてくることによって、集中力の持続ができるのが大きいんではないかと思います」広島・廿日市市の小学校でも県が主導して、希望する全児童に朝食を無償で提供する取り組みを開始しました。児童「おいしい朝ごはん食べたから勉強も頑張れそう」都道府県によるこうした取り組みは、全国初だということで広島県では成果を検証しながら県内全域に広めたい考えです。　　保育園に行く子はdousiteiruno?]]></summary><author><name>紫苑姫</name></author><published>2018-11-26T07:33:08+00:00</published><updated>2018-11-26T07:33:08+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>朝７時半過ぎ、登校した小学生たちが食べているのは「きつねうどん」。友達と一緒に朝食です。いま学校で朝食を提供する取り組みが広まっています。</p><p>子どもたち「うまい、テンションが上がる」「友達がいるから一緒に行きたいなって」</p><p>大阪市立西淡路小学校では２年前から毎週月・水・金曜日に朝食を提供。作るのは６０代～８０代の地域ボランティアです。市の補助を受けていて自己負担は１食５０円ほどです。</p><p>共働き世帯の増加で多くの家庭で時間がかけられない朝食。実はこの朝食が学力アップにつながっているというのです。朝食を毎日食べている生徒とまったく食べない生徒では１５％以上も正答率に差が出た調査も。</p><p>福永校長「朝ごはんをしっかり食べてくることによって、集中力の持続ができるのが大きいんではないかと思います」</p><p>広島・廿日市市の小学校でも県が主導して、希望する全児童に朝食を無償で提供する取り組みを開始しました。</p><p>児童「おいしい朝ごはん食べたから勉強も頑張れそう」</p><p>都道府県によるこうした取り組みは、全国初だということで広島県では成果を検証しながら県内全域に広めたい考えです。　　保育園に行く子はdousiteiruno?</p>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[阪神淡路大震災から広まる「被災地への手紙」　熊本に住む当時小学生だった男性に会いに]]></title><link rel="alternate" href="https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5305144/"></link><id>https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5305144</id><summary><![CDATA[今年1月、神戸市役所の倉庫から阪神淡路大震災のときに神戸に送られてきた“応援の手紙”が見つかりました。被災地へのメッセージは阪神・淡路大震災以降、全国に広がったといわれています。当時、神戸には東北や熊本など、のちに震災が起きたところからもメッセージがきていました。今回、熊本から手紙を送った小学生に会うことができました。いまは32歳になった男性も熊本地震で被災し、全国からの励ましに勇気をもらったといいます。手紙でつながる「被災地の絆」を取材しました。神戸市役所で見つかった“子どもたち”からの手紙辻憲太郎解説委員が訪ねたのは、神戸市役所の広報課。阪神淡路大震災のときに届いた手紙が保管されています。「1995年当時に神戸市役所に対して送られてきた。ひとつひとつ、子どもたちの字で書かれていると、思いがこもっているなと」（辻解説委員）ここにあるのはほんの一部。全部で段ボール16箱分あって、今年1月、広報課が借りている倉庫を整理していたときに、偶然発見したのだといいます。Q．手紙を見たときにどう思われました？「なんやろうと…中身開けていくと地震1.17のことが書いてあって、これは貴重な資料だと思いまして」（神戸市役所広報課　吉田武司さん）届いたメッセージは全国各地から。寄せ書きや幼い子どもが描いた絵や、日本だけでなくアメリカの子どもたちが日本語で書いたメッセージもありました。中には福島県から届いた手紙も。「『地しんでたいへんですね、でもがんばって寒さにまけないでください。もう地しんなんかないようにぼくたちもねがっています』ということなんですけど、16年後ですかね…福島の方でも東日本大震災が起きました」（辻解説委員）そして、吉田さんが取り出した一束の手紙。Q．これは朝日小学校？「熊本の小学校です」熊本の小学生が書いた手紙、どのようなことが書かれているのでしょうか。『地しんにまけないで、がんばってください』『10年後には、熊本にじしんがくるといっているのでこわいです』Q．10年後ではないですけど、21年後には本当に起きたわけですね。朝日小学校は熊本地震の震源地からは近い？「近いと聞いています」Q．もしお会いなったら、どういうふうなお礼をしたいですか？「私も当時職員ではなかったのですが、被災者の1人でしたので『本当に励ましになりました』と、お互いこれからも助け合いながらやっていければと思っていますと」吉田さんの思いも胸に辻解説委員、熊本に向かいました。地震をきっかけに…新たな交流が生まれている「熊本にやってまいりました。あの地震から2年半、復興のシンボルといわれる熊本城も天守閣を葺き直して白く新しくなっています」（辻解説委員）2016年4月、最大震度7が2回も観測された熊本地震。街のシンボル熊本城にも大きな被害が出ました。辻解説委員は熊本地震の直後と去年4月の2回、熊本城を取材していました。当時、「戌亥櫓」はわずかな石で奇跡的に支えられていましたが、いまはどのようになっているのでしょうか？「状況はあまり変わっていませんね。角の支え1つで櫓を支えている状態は、今年も変わっていません」（辻解説委員）城の完全復旧には約20年かかるとのこと。いまなお地震の傷跡が残る熊本にも、全国から数多くのメッセージが届いていました。Q．大阪の枚方の老人会の方が送ってこられたくまモンの人形？「大変なときだったんですけど、ほっこりというか」（熊本市役所復興総室　伊藤恵美子さん）Q．ちょっと気になりますのは“くまエモン”というのは？これ老人会の方が間違えたということは？「間違えではなく、くまモンをもじって作られたんだと」熊本市役所に届いたものは手紙だけではなく、趣向を凝らした贈り物が多くありました。「横断幕、ポスター、うちわも。震災のときにそういうメッセージを届けようという文化が1995年に広がって。そこからものすごく多様化しているといいますか、ちょっとした心遣い、交流がずっと続いているということなんですね」（辻解説委員）「地震をきっかけに、新たなつながりというか交流が生まれているかと思います」（伊藤さん）小学生だった男性に会いに…「私の字です」自然災害の多い日本に根付いた被災地への応援メッセージ。辻解説委員、23年前に熊本から神戸に手紙を送った小学生に会いに、県東部にある山都町の朝日小学校に向かいました。そして…いよいよ対面です。地元でトマト農家を営む藤本光希さん（32）。手紙を書いたことを覚えているのでしょうか。（辻解説委員）「震災が起きた直後の神戸に、母校から送られていたんですが覚えていますか」（藤本さん）「書いた記憶は正直あまりない…」（辻解説委員）「実は神戸市から、藤本さんほかクラスの皆さんが当時書かれたメッセージをお借りしてきまして、持ってきましたんで。神戸市の方も本当にみなさんに励ましていただいてありがたかったとメッセージも預かっています」さっそく中を開いてみると…（藤本さん）「間違いないです。私の字です。すごいですね。漢字が苦手で、ひらがなでしっかり書いてありましたね。届いてましたね」（辻解説委員）「ちょっとこれが、神戸市の方もこれは非常に不思議なというか印象深いと…『テレビでは後10年後には熊本にじしんがくるといっているのでこわいです』…実際におととし、20年以上経って熊本にも地震がありましたが、藤本さんご自身は？」（藤本さん）「実家の方が家がちょっと傾いてしまって、柱にひびが入ったり住めない状況になって解体して」「地震の多い国ですから他人事じゃない」山都町も最大で震度6弱の揺れがあり、藤本さんも被災していました。（辻解説委員）「1995年の阪神淡路大震災のときに一斉に全国からメッセージが集まってきたという伝統が、2011年の東北、そして熊本と…」（藤本さん）「日本は地震の多い国ですから他人事じゃないですよね。これで阪神のときでわかったと思うんです。みんなで助け合って、熊本のときもほんと助けてもらって助かった部分が大きいので、ひとりじゃどうしようもできないので、皆さんから力をもらって、手紙だったり声かけてもらって励みになりましたね」（辻解説委員）「こういう伝統がこれからもずっと続いていくといいですね。もちろん震災がないのが一番ですが…」（藤本さん）「良かったと思います。こうやって届いていた」]]></summary><author><name>紫苑姫</name></author><published>2018-11-25T07:41:20+00:00</published><updated>2018-11-25T07:41:20+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>今年1月、神戸市役所の倉庫から阪神淡路大震災のときに神戸に送られてきた“応援の手紙”が見つかりました。被災地へのメッセージは阪神・淡路大震災以降、全国に広がったといわれています。当時、神戸には東北や熊本など、のちに震災が起きたところからもメッセージがきていました。今回、熊本から手紙を送った小学生に会うことができました。いまは32歳になった男性も熊本地震で被災し、全国からの励ましに勇気をもらったといいます。手紙でつながる「被災地の絆」を取材しました。神戸市役所で見つかった“子どもたち”からの手紙<br></p><p>辻憲太郎解説委員が訪ねたのは、神戸市役所の広報課。阪神淡路大震災のときに届いた手紙が保管されています。</p><p>「1995年当時に神戸市役所に対して送られてきた。ひとつひとつ、子どもたちの字で書かれていると、思いがこもっているなと」（辻解説委員）</p><p>ここにあるのはほんの一部。全部で段ボール16箱分あって、今年1月、広報課が借りている倉庫を整理していたときに、偶然発見したのだといいます。</p><p>Q．手紙を見たときにどう思われました？</p><p>「なんやろうと…中身開けていくと地震1.17のことが書いてあって、これは貴重な資料だと思いまして」（神戸市役所広報課　吉田武司さん）</p><p>届いたメッセージは全国各地から。寄せ書きや幼い子どもが描いた絵や、日本だけでなくアメリカの子どもたちが日本語で書いたメッセージもありました。中には福島県から届いた手紙も。</p><p>「『地しんでたいへんですね、でもがんばって寒さにまけないでください。もう地しんなんかないようにぼくたちもねがっています』ということなんですけど、16年後ですかね…福島の方でも東日本大震災が起きました」（辻解説委員）そして、吉田さんが取り出した一束の手紙。</p><p>Q．これは朝日小学校？</p><p>「熊本の小学校です」</p><p>熊本の小学生が書いた手紙、どのようなことが書かれているのでしょうか。</p><p>『地しんにまけないで、がんばってください』</p><p>『10年後には、熊本にじしんがくるといっているのでこわいです』</p><p>Q．10年後ではないですけど、21年後には本当に起きたわけですね。朝日小学校は熊本地震の震源地からは近い？</p><p>「近いと聞いています」</p><p>Q．もしお会いなったら、どういうふうなお礼をしたいですか？</p><p>「私も当時職員ではなかったのですが、被災者の1人でしたので『本当に励ましになりました』と、お互いこれからも助け合いながらやっていければと思っていますと」</p><p>吉田さんの思いも胸に辻解説委員、熊本に向かいました。地震をきっかけに…新たな交流が生まれている</p><p>「熊本にやってまいりました。あの地震から2年半、復興のシンボルといわれる熊本城も天守閣を葺き直して白く新しくなっています」（辻解説委員）</p><p>2016年4月、最大震度7が2回も観測された熊本地震。街のシンボル熊本城にも大きな被害が出ました。辻解説委員は熊本地震の直後と去年4月の2回、熊本城を取材していました。当時、「戌亥櫓」はわずかな石で奇跡的に支えられていましたが、いまはどのようになっているのでしょうか？</p><p>「状況はあまり変わっていませんね。角の支え1つで櫓を支えている状態は、今年も変わっていません」（辻解説委員）</p><p>城の完全復旧には約20年かかるとのこと。いまなお地震の傷跡が残る熊本にも、全国から数多くのメッセージが届いていました。Q．大阪の枚方の老人会の方が送ってこられたくまモンの人形？</p><p>「大変なときだったんですけど、ほっこりというか」（熊本市役所復興総室　伊藤恵美子さん）</p><p>Q．ちょっと気になりますのは“くまエモン”というのは？これ老人会の方が間違えたということは？</p><p>「間違えではなく、くまモンをもじって作られたんだと」</p><p>熊本市役所に届いたものは手紙だけではなく、趣向を凝らした贈り物が多くありました。</p><p>「横断幕、ポスター、うちわも。震災のときにそういうメッセージを届けようという文化が1995年に広がって。そこからものすごく多様化しているといいますか、ちょっとした心遣い、交流がずっと続いているということなんですね」（辻解説委員）</p><p>「地震をきっかけに、新たなつながりというか交流が生まれているかと思います」（伊藤さん）小学生だった男性に会いに…「私の字です」</p><p>自然災害の多い日本に根付いた被災地への応援メッセージ。辻解説委員、23年前に熊本から神戸に手紙を送った小学生に会いに、県東部にある山都町の朝日小学校に向かいました。そして…いよいよ対面です。地元でトマト農家を営む藤本光希さん（32）。手紙を書いたことを覚えているのでしょうか。</p><p>（辻解説委員）「震災が起きた直後の神戸に、母校から送られていたんですが覚えていますか」</p><p>（藤本さん）「書いた記憶は正直あまりない…」</p><p>（辻解説委員）「実は神戸市から、藤本さんほかクラスの皆さんが当時書かれたメッセージをお借りしてきまして、持ってきましたんで。神戸市の方も本当にみなさんに励ましていただいてありがたかったとメッセージも預かっています」</p><p>さっそく中を開いてみると…</p><p>（藤本さん）「間違いないです。私の字です。すごいですね。漢字が苦手で、ひらがなでしっかり書いてありましたね。届いてましたね」</p><p>（辻解説委員）「ちょっとこれが、神戸市の方もこれは非常に不思議なというか印象深いと…『テレビでは後10年後には熊本にじしんがくるといっているのでこわいです』…実際におととし、20年以上経って熊本にも地震がありましたが、藤本さんご自身は？」</p><p>（藤本さん）「実家の方が家がちょっと傾いてしまって、柱にひびが入ったり住めない状況になって解体して」「地震の多い国ですから他人事じゃない」</p><p>山都町も最大で震度6弱の揺れがあり、藤本さんも被災していました。</p><p>（辻解説委員）「1995年の阪神淡路大震災のときに一斉に全国からメッセージが集まってきたという伝統が、2011年の東北、そして熊本と…」</p><p>（藤本さん）「日本は地震の多い国ですから他人事じゃないですよね。これで阪神のときでわかったと思うんです。みんなで助け合って、熊本のときもほんと助けてもらって助かった部分が大きいので、ひとりじゃどうしようもできないので、皆さんから力をもらって、手紙だったり声かけてもらって励みになりましたね」</p><p>（辻解説委員）「こういう伝統がこれからもずっと続いていくといいですね。もちろん震災がないのが一番ですが…」</p><p>（藤本さん）「良かったと思います。こうやって届いていた」</p>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[白血病６歳弟救った骨髄移植　中学の兄と仲間がバンク普及運動]]></title><link rel="alternate" href="https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5305130/"></link><id>https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5305130</id><summary><![CDATA[３歳で白血病を患い、骨髄移植で命を取りとめた山岡虹太（こうた）くん（６）＝京都市北区＝の家族が、同じ病気で苦しむ人たちの助けになりたいと、骨髄バンクへの登録を呼びかけている。兄の青登（はると）さん（１４）は中学の部活仲間と共に、タスキでバンクをＰＲする活動を始めた。「ドナーが見つからなければ生きられない人がいることを知ってほしい」。思いが誰かに届くことを願い、奮闘を続けている。　虹太くんが患ったのは、血液をつくる細胞ががん化して急速に増殖する「急性骨髄性白血病」。風邪の症状が１週間以上続き、異変を強く感じ取った母紗恵子さん（３９）が何軒も病院を回って血液検査で判明した。直後から始まったのは、厳しい抗がん剤治療。５人家族の日常は一変した。　虹太くんは小さな体で抗がん剤の副作用に耐え、骨髄液を採取するつらい検査を毎月のように受けた。紗恵子さんは病院で泊まり込みの看病を続け、当時小学生だった長男青登さんと次男侑矢くん（１２）にとっては母親のいない生活が突然始まった。兄弟２人だけで宅配の晩ごはんを食べる日もあったという。　虹太くんは約半年の治療で退院できたが、わずか２カ月後、最も恐れていた再発が判明。治療の選択肢が骨髄移植だけとなり、移植に向けて再び抗がん剤治療が始まった。当初は抗がん剤が効かず、命が危ぶまれる状況に追い込まれた。そこで医師が最後の望みとして投与した薬が効き、移植への希望がつながったという。　だが、肝心の骨髄バンクで白血球のＨＬＡ型が合致した候補者は、たったの１人だった。人数が少なければ、移植までたどり着く可能性は低い。時間の猶予がなかったため、型が完全には一致しない父智志さん（４０）の造血幹細胞が移植された。　手術は無事成功し、虹太くんは４歳の夏に自宅へ戻った。もし次に再発しても骨髄移植はできないため、家族にとっては不安と恐怖の日々が続いた。そして２年がたった今、ようやく穏やかな日常を取り戻せたという。　闘病を通じて家族が痛感したのは、ドナーを見つけることの難しさだ。ＨＬＡ型が一致する確率は血縁者で４分の１、非血縁者だと数百～数万分の１。兄弟２人も検査を受けたが型が合わなかった。ドナー候補が１人だと聞いたときのつらさを思い起こし、紗恵子さんはブログやチャリティーマラソンを通じてバンク登録を呼びかけるようになった。　青登さんも自分にできることを探し、タスキでＰＲすることを思いついた。所属する西賀茂中（北区）バスケットボール部の遠征試合で身につけようと顧問や部員に相談したところ、多くの仲間が「一緒にやろう」と手を上げてくれた。青登さんとは小学校からミニバスケットのチームメイトだった生徒も多く、病と闘う一家を見守り、家族ぐるみで支えてくれた仲間だという。　遠征では黄色のタスキを見て話しかけてくれる人も多く、そのたびに闘病経験やバンク登録の大切さを伝えているという。青登さんは「移植ができず亡くなる人もいる。タスキを見て一瞬でもバンクに関心を持ってもらえたら」と願いを込める。　小学校に入った虹太くんはバスケットボールを始め、「プロの選手になりたい」と笑顔を見せる。紗恵子さんは「もうあかん、命が助からないと思うことが何度もあったけれど、骨髄移植で元気になってくれた。望む人全員が移植できるよう、ドナー登録者が増えてくれたら」と切に願っている。]]></summary><author><name>紫苑姫</name></author><published>2018-11-25T07:37:54+00:00</published><updated>2018-11-25T07:37:54+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>３歳で白血病を患い、骨髄移植で命を取りとめた山岡虹太（こうた）くん（６）＝京都市北区＝の家族が、同じ病気で苦しむ人たちの助けになりたいと、骨髄バンクへの登録を呼びかけている。兄の青登（はると）さん（１４）は中学の部活仲間と共に、タスキでバンクをＰＲする活動を始めた。「ドナーが見つからなければ生きられない人がいることを知ってほしい」。思いが誰かに届くことを願い、奮闘を続けている。</p><p>　虹太くんが患ったのは、血液をつくる細胞ががん化して急速に増殖する「急性骨髄性白血病」。風邪の症状が１週間以上続き、異変を強く感じ取った母紗恵子さん（３９）が何軒も病院を回って血液検査で判明した。直後から始まったのは、厳しい抗がん剤治療。５人家族の日常は一変した。</p><p>　虹太くんは小さな体で抗がん剤の副作用に耐え、骨髄液を採取するつらい検査を毎月のように受けた。紗恵子さんは病院で泊まり込みの看病を続け、当時小学生だった長男青登さんと次男侑矢くん（１２）にとっては母親のいない生活が突然始まった。兄弟２人だけで宅配の晩ごはんを食べる日もあったという。</p><p>　虹太くんは約半年の治療で退院できたが、わずか２カ月後、最も恐れていた再発が判明。治療の選択肢が骨髄移植だけとなり、移植に向けて再び抗がん剤治療が始まった。当初は抗がん剤が効かず、命が危ぶまれる状況に追い込まれた。そこで医師が最後の望みとして投与した薬が効き、移植への希望がつながったという。</p><p>　だが、肝心の骨髄バンクで白血球のＨＬＡ型が合致した候補者は、たったの１人だった。人数が少なければ、移植までたどり着く可能性は低い。時間の猶予がなかったため、型が完全には一致しない父智志さん（４０）の造血幹細胞が移植された。</p><p>　手術は無事成功し、虹太くんは４歳の夏に自宅へ戻った。もし次に再発しても骨髄移植はできないため、家族にとっては不安と恐怖の日々が続いた。そして２年がたった今、ようやく穏やかな日常を取り戻せたという。</p><p>　闘病を通じて家族が痛感したのは、ドナーを見つけることの難しさだ。ＨＬＡ型が一致する確率は血縁者で４分の１、非血縁者だと数百～数万分の１。兄弟２人も検査を受けたが型が合わなかった。ドナー候補が１人だと聞いたときのつらさを思い起こし、紗恵子さんはブログやチャリティーマラソンを通じてバンク登録を呼びかけるようになった。</p><p>　青登さんも自分にできることを探し、タスキでＰＲすることを思いついた。所属する西賀茂中（北区）バスケットボール部の遠征試合で身につけようと顧問や部員に相談したところ、多くの仲間が「一緒にやろう」と手を上げてくれた。青登さんとは小学校からミニバスケットのチームメイトだった生徒も多く、病と闘う一家を見守り、家族ぐるみで支えてくれた仲間だという。</p><p>　遠征では黄色のタスキを見て話しかけてくれる人も多く、そのたびに闘病経験やバンク登録の大切さを伝えているという。青登さんは「移植ができず亡くなる人もいる。タスキを見て一瞬でもバンクに関心を持ってもらえたら」と願いを込める。</p><p>　小学校に入った虹太くんはバスケットボールを始め、「プロの選手になりたい」と笑顔を見せる。紗恵子さんは「もうあかん、命が助からないと思うことが何度もあったけれど、骨髄移植で元気になってくれた。望む人全員が移植できるよう、ドナー登録者が増えてくれたら」と切に願っている。</p>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[白血病６歳弟救った骨髄移植　中学の兄と仲間がバンク普及運動]]></title><link rel="alternate" href="https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5299649/"></link><id>https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5299649</id><summary><![CDATA[３歳で白血病を患い、骨髄移植で命を取りとめた山岡虹太（こうた）くん（６）＝京都市北区＝の家族が、同じ病気で苦しむ人たちの助けになりたいと、骨髄バンクへの登録を呼びかけている。兄の青登（はると）さん（１４）は中学の部活仲間と共に、タスキでバンクをＰＲする活動を始めた。「ドナーが見つからなければ生きられない人がいることを知ってほしい」。思いが誰かに届くことを願い、奮闘を続けている。　虹太くんが患ったのは、血液をつくる細胞ががん化して急速に増殖する「急性骨髄性白血病」。風邪の症状が１週間以上続き、異変を強く感じ取った母紗恵子さん（３９）が何軒も病院を回って血液検査で判明した。直後から始まったのは、厳しい抗がん剤治療。５人家族の日常は一変した。　虹太くんは小さな体で抗がん剤の副作用に耐え、骨髄液を採取するつらい検査を毎月のように受けた。紗恵子さんは病院で泊まり込みの看病を続け、当時小学生だった長男青登さんと次男侑矢くん（１２）にとっては母親のいない生活が突然始まった。兄弟２人だけで宅配の晩ごはんを食べる日もあったという。　虹太くんは約半年の治療で退院できたが、わずか２カ月後、最も恐れていた再発が判明。治療の選択肢が骨髄移植だけとなり、移植に向けて再び抗がん剤治療が始まった。当初は抗がん剤が効かず、命が危ぶまれる状況に追い込まれた。そこで医師が最後の望みとして投与した薬が効き、移植への希望がつながったという。　だが、肝心の骨髄バンクで白血球のＨＬＡ型が合致した候補者は、たったの１人だった。人数が少なければ、移植までたどり着く可能性は低い。時間の猶予がなかったため、型が完全には一致しない父智志さん（４０）の造血幹細胞が移植された。　手術は無事成功し、虹太くんは４歳の夏に自宅へ戻った。もし次に再発しても骨髄移植はできないため、家族にとっては不安と恐怖の日々が続いた。そして２年がたった今、ようやく穏やかな日常を取り戻せたという。　闘病を通じて家族が痛感したのは、ドナーを見つけることの難しさだ。ＨＬＡ型が一致する確率は血縁者で４分の１、非血縁者だと数百～数万分の１。兄弟２人も検査を受けたが型が合わなかった。ドナー候補が１人だと聞いたときのつらさを思い起こし、紗恵子さんはブログやチャリティーマラソンを通じてバンク登録を呼びかけるようになった。　青登さんも自分にできることを探し、タスキでＰＲすることを思いついた。所属する西賀茂中（北区）バスケットボール部の遠征試合で身につけようと顧問や部員に相談したところ、多くの仲間が「一緒にやろう」と手を上げてくれた。青登さんとは小学校からミニバスケットのチームメイトだった生徒も多く、病と闘う一家を見守り、家族ぐるみで支えてくれた仲間だという。　遠征では黄色のタスキを見て話しかけてくれる人も多く、そのたびに闘病経験やバンク登録の大切さを伝えているという。青登さんは「移植ができず亡くなる人もいる。タスキを見て一瞬でもバンクに関心を持ってもらえたら」と願いを込める。　小学校に入った虹太くんはバスケットボールを始め、「プロの選手になりたい」と笑顔を見せる。紗恵子さんは「もうあかん、命が助からないと思うことが何度もあったけれど、骨髄移植で元気になってくれた。望む人全員が移植できるよう、ドナー登録者が増えてくれたら」と切に願っている。]]></summary><author><name>紫苑姫</name></author><published>2018-11-24T08:32:57+00:00</published><updated>2018-11-24T08:32:57+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[＜ＩＴ＞聴覚障害男女３人遭難、命つないだ民間「電話リレーサービス」]]></title><link rel="alternate" href="https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5299269/"></link><id>https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5299269</id><summary><![CDATA[　岐阜、長野県境の奥穂高岳で１０月下旬、聴覚障害がある５０代の男女３人が遭難し、手話や文字で通話できる民間の「電話リレーサービス」を使って警察に救助を要請していた。女性１人が亡くなったが、助かった男性は「要請できなければ全員死んでいたかも」と振り返る。国内には２４時間対応できるリレーサービスがなく、障害者団体は「いつでも緊急通報できる環境を国が整備すべきだ」と訴える。【谷本仁美】　「１１９番してほしい」。１０月２０日午後５時半ごろ、愛知県の男性はスマートフォンの画面越しに、電話リレーサービスを請け負う「プラスヴォイス」（仙台市）のオペレーターに手話で訴えた。男性を含む３人は穂高岳近くの山荘を目指していたが、積雪と強風と寒さで身動きが取れなくなっていた。　本来、リレーサービスは「誤訳」した場合の責任などの問題から、緊急通報は受け付けていない。しかし、過去にこうした依頼に応じて救命につながったケースもあり、オペレーターは人命を優先して警察に通報。通信状態は悪かったが、文字入力を使って状況を聞き「明朝６時にヘリコプターが向かうのでスマホの電源を切り、その場から動かないように」と警察からの指示を伝えた。　３人がいたのは人がすれ違うのも難しい切り立った斜面で、風よけができる場所を見つけて朝を待った。衰弱した女性は助からなかったが、男性２人はヘリで救助された。　プラスヴォイスを含めた国内の事業者は、いずれも人繰りなどの問題で夜間は対応していない。男性は毎日新聞の取材に、防寒対策などが足りなかったことを悔やみつつ「利用時間外であれば救助を呼べず、全員が死んでいたかもしれない。聞こえる人と同じように、ろう者も２４時間緊急通報できるようになるといい」と話した。　電話リレーサービスの普及に取り組んでいる日本財団によると、日本を除く主要７カ国（Ｇ７）のほか、韓国、タイ、エジプト、コロンビアなど計２５カ国では同サービスが公的なインフラとして整備されている。全日本ろうあ連盟は総務省に２４時間対応可能なサービスの制度化の要望を続けているが、具体的な動きはないという。　同連盟理事の小椋武夫さんは「手話は独自の文法を持つため、メールなど文字でのやり取りが苦手な聴覚障害者もおり、緊急時に十分な説明ができない可能性がある。また、手話は個人差が大きく、表情なども重要な要素なので、人工知能を使った今の技術でも正しく認識できる水準にない。通訳者が入るリレーサービスへの期待は高く、国に整備を求めたい」と訴える。　◇電話リレーサービス　聴覚障害者と通訳者をインターネット、通訳者と相手を電話で結び、手話が分からない人とも話ができるサービス。日本財団が２０１３年からモデルプロジェクトを始め、利用者は専用サイトから事業者（民間３社と１２自治体の聴覚障害者情報センター）と「手話か文字か」を選び、通訳のオペレーターを介して電話先の相手と会話する。今年６月現在の利用登録者は約７５００人。　◇国のシステム「動画取り入れは難しい」　聴覚障害者の救助要請などのため国が普及を図っているのが「ＮＥＴ１１９　緊急通報システム」だ。スマートフォンなどで表示画面をタッチすると、最寄りの消防署のパソコンにつながり、文字入力でチャットができる。住所や名前は、あらかじめ登録しておく。　６月時点で導入している消防本部は全国の約２割の１４２本部。総務省消防庁は２０２０年までの１００％導入を目指し、今年度から交付税による財政支援も始めた。だが、今回遭難事故が起きた奥穂高岳のある長野、岐阜両県内では採用されておらず、救助された男性もシステムを知らなかったという。　聴覚障害者の間では、電話リレーサービスのように慣れている手話での対応を望む声も強い。だが、同庁防災情報室は「災害時の電波状況などを考えると動画を取り入れるのは難しい」と消極的だ。]]></summary><author><name>紫苑姫</name></author><published>2018-11-24T07:12:00+00:00</published><updated>2018-11-24T07:12:00+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>　岐阜、長野県境の奥穂高岳で１０月下旬、聴覚障害がある５０代の男女３人が遭難し、手話や文字で通話できる民間の「電話リレーサービス」を使って警察に救助を要請していた。女性１人が亡くなったが、助かった男性は「要請できなければ全員死んでいたかも」と振り返る。国内には２４時間対応できるリレーサービスがなく、障害者団体は「いつでも緊急通報できる環境を国が整備すべきだ」と訴える。【谷本仁美】</p><p>　「１１９番してほしい」。１０月２０日午後５時半ごろ、愛知県の男性はスマートフォンの画面越しに、電話リレーサービスを請け負う「プラスヴォイス」（仙台市）のオペレーターに手話で訴えた。男性を含む３人は穂高岳近くの山荘を目指していたが、積雪と強風と寒さで身動きが取れなくなっていた。</p><p>　本来、リレーサービスは「誤訳」した場合の責任などの問題から、緊急通報は受け付けていない。しかし、過去にこうした依頼に応じて救命につながったケースもあり、オペレーターは人命を優先して警察に通報。通信状態は悪かったが、文字入力を使って状況を聞き「明朝６時にヘリコプターが向かうのでスマホの電源を切り、その場から動かないように」と警察からの指示を伝えた。</p><p>　３人がいたのは人がすれ違うのも難しい切り立った斜面で、風よけができる場所を見つけて朝を待った。衰弱した女性は助からなかったが、男性２人はヘリで救助された。</p><p>　プラスヴォイスを含めた国内の事業者は、いずれも人繰りなどの問題で夜間は対応していない。男性は毎日新聞の取材に、防寒対策などが足りなかったことを悔やみつつ「利用時間外であれば救助を呼べず、全員が死んでいたかもしれない。聞こえる人と同じように、ろう者も２４時間緊急通報できるようになるといい」と話した。</p><p>　電話リレーサービスの普及に取り組んでいる日本財団によると、日本を除く主要７カ国（Ｇ７）のほか、韓国、タイ、エジプト、コロンビアなど計２５カ国では同サービスが公的なインフラとして整備されている。全日本ろうあ連盟は総務省に２４時間対応可能なサービスの制度化の要望を続けているが、具体的な動きはないという。</p><p>　同連盟理事の小椋武夫さんは「手話は独自の文法を持つため、メールなど文字でのやり取りが苦手な聴覚障害者もおり、緊急時に十分な説明ができない可能性がある。また、手話は個人差が大きく、表情なども重要な要素なので、人工知能を使った今の技術でも正しく認識できる水準にない。通訳者が入るリレーサービスへの期待は高く、国に整備を求めたい」と訴える。</p><p>　◇電話リレーサービス</p><p>　聴覚障害者と通訳者をインターネット、通訳者と相手を電話で結び、手話が分からない人とも話ができるサービス。日本財団が２０１３年からモデルプロジェクトを始め、利用者は専用サイトから事業者（民間３社と１２自治体の聴覚障害者情報センター）と「手話か文字か」を選び、通訳のオペレーターを介して電話先の相手と会話する。今年６月現在の利用登録者は約７５００人。</p><p>　◇国のシステム「動画取り入れは難しい」</p><p>　聴覚障害者の救助要請などのため国が普及を図っているのが「ＮＥＴ１１９　緊急通報システム」だ。スマートフォンなどで表示画面をタッチすると、最寄りの消防署のパソコンにつながり、文字入力でチャットができる。住所や名前は、あらかじめ登録しておく。</p><p>　６月時点で導入している消防本部は全国の約２割の１４２本部。総務省消防庁は２０２０年までの１００％導入を目指し、今年度から交付税による財政支援も始めた。だが、今回遭難事故が起きた奥穂高岳のある長野、岐阜両県内では採用されておらず、救助された男性もシステムを知らなかったという。</p><p>　聴覚障害者の間では、電話リレーサービスのように慣れている手話での対応を望む声も強い。だが、同庁防災情報室は「災害時の電波状況などを考えると動画を取り入れるのは難しい」と消極的だ。</p>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[保護者からの暴言「土下座しろ」「今から殴りに行く」現場で苦しむ教員の声]]></title><link rel="alternate" href="https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5297696/"></link><id>https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5297696</id><summary><![CDATA[いじめ指導をしたら、保護者に「土下座」を強要されたーー。こうした過剰な要求をする親「モンスターペアレント」が教員を苦しめている。厚生労働省が10月30日に発表した「過労死等防止対策白書」でも、はっきりと数字に表れた。全国の国公私立小、中、高などの教職員約3万5600人へのアンケート調査で、業務に関連するストレスや悩みの内容を尋ねたところ、長時間労働（43.4%）、職場の人間関係（40.2%）に続いて、保護者・PTA等への対応が38.3%と3番目に多い結果となった。現場で何が起きているのだろうか。今回2人の現役教員に話を聞いたところ、どちらも保護者から「土下座を強要された経験がある」と打ち明けた。●「どうしても教員に謝らせたいんだろう」「日々いっぱいあり過ぎて…」と話すのは、近畿地区の公立高に勤める平さん（仮名、30代男性）だ。平さんの勤務校は教育困難校。タバコを持ち込む生徒が多いため、所持品検査を行なっているが、子どもから事情を聞いた親から「ここは警察なのか」「勝手に持ち物を見ていいのか」と詰め寄られた。親同士のトラブルに巻き込まれたこともある。きっかけは女子生徒が「男性生徒に押された」と話したこと。女子生徒の親から夜電話があり、「どないやつやねん」「相手の子どもやめさせなきゃならんやろ」「相手の親を出してこい」と怒鳴られた。すると、男子生徒の親も怒り出し、「どこにあざができとんや、きてみぃ」と反論。その地区で起きている大人同士の「縄張り争い」に巻き込まれた。「あんた子どもいるんか、いないならわかるわけないやろ」「土下座しろ」。自信を失うような言葉を投げかけられたこともある。中には「どうしても教員に謝らせたい」という親もいる。誠心誠意対応をしても、「サービスを受けて当たり前」という雰囲気を感じている。●「今からお前を殴りに行く」東北地方の公立高教員である戸田さん（仮名、50代男性）は「大方の先生が困ったことがあるのではないか」と話す。頭髪指導をしたところ保護者からクレームを受けた。茶色に染めている生徒を注意しても髪色を直さないため保護者に電話した。すると「これ以上直せない」「今からお前を殴りに行く」と怒鳴られた。生徒同士のトラブルで、加害者側の生徒から事情を聞いて保護者に電話した際には、「自分の子だけが悪いのか」「ちゃんと聞き取りしたのか」と激昂されたこともある。教頭や学年主任など複数の教員で対応し、経緯を説明したが、「学校として、どうしてくれるんだ」「土下座して謝れ」と詰め寄られた。「たとえ生徒が素直に応じなくても、指導は続けなければならない。怒鳴られた後には、車を運転していてもぼうっとしてしまって、精神的に不安定になりました。それでも授業やHRは毎日ある。授業でもうまく笑顔が出せず、生徒に伝わっているのではないかと不安でした」（戸田さん）精神的な負担だけではない。戸田さんの勤務校も教育困難校で、毎日のようにトラブルが起きる。年間100件ほどの生徒指導に割かれる時間は非常に多い。複数人の生徒が関わる場合、対応する教員が足りないため、授業を急きょ自習にして聞き取りにあたる。保護者にどう伝えるか、教員同士の入念な打ち合わせも不可欠だ。保護者には授業が終わった夕方から夜にかけて対応するが、22時過ぎまでかかることもざらだ。戸田さんは言う。「教育の業務は際限がなく、生徒に関わることはほとんど対応する。もちろんトラブル対応も疎かにできない。日々、綱渡りの対応です」●当事者同士での解決に限界教育研究家で、中教審特別部会委員の妹尾昌俊さんは「保護者対応の内容は学校や地域による差も大きく、調査等では総量の把握は難しい側面がある」と前置きしつつ、「一部には理不尽なクレームや過剰要求があるのも事実であり、教員の負担感やストレスは大きく、看過できない問題。保護者と学校側だけで解決させるのには限界がある」と指摘する。「交通事故で例えると、当事者同士で示談交渉をするようなもの。スクールロイヤーやスクールソーシャルワーカーなど教育委員会とはまた別の第三者が介入・対応できるようにする必要がある。ただし、学校側に反省点がある申し出等に対しては、学校は真摯に対応しなければならない」また、保護者対応に限らず、教員の仕事の全体量を減らすことも不可欠だと話す。「教員はあらゆる仕事を任され、日々余裕がなく追い立てられている。忙しくてつい連絡ミスをしたり、丁寧さを欠いた対応をしたりすると、子どもを心配するあまり、保護者は不信感を抱くことにもなる。冷静に対応できるだけの余裕を教員に持たせる必要がある」]]></summary><author><name>紫苑姫</name></author><published>2018-11-24T01:38:20+00:00</published><updated>2018-11-24T01:38:21+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>いじめ指導をしたら、保護者に「土下座」を強要されたーー。こうした過剰な要求をする親「モンスターペアレント」が教員を苦しめている。</p><p>厚生労働省が10月30日に発表した「過労死等防止対策白書」でも、はっきりと数字に表れた。全国の国公私立小、中、高などの教職員約3万5600人へのアンケート調査で、業務に関連するストレスや悩みの内容を尋ねたところ、長時間労働（43.4%）、職場の人間関係（40.2%）に続いて、保護者・PTA等への対応が38.3%と3番目に多い結果となった。</p><p>現場で何が起きているのだろうか。今回2人の現役教員に話を聞いたところ、どちらも保護者から「土下座を強要された経験がある」と打ち明けた。</p><p>●「どうしても教員に謝らせたいんだろう」</p><p>「日々いっぱいあり過ぎて…」と話すのは、近畿地区の公立高に勤める平さん（仮名、30代男性）だ。平さんの勤務校は教育困難校。タバコを持ち込む生徒が多いため、所持品検査を行なっているが、子どもから事情を聞いた親から「ここは警察なのか」「勝手に持ち物を見ていいのか」と詰め寄られた。</p><p>親同士のトラブルに巻き込まれたこともある。きっかけは女子生徒が「男性生徒に押された」と話したこと。女子生徒の親から夜電話があり、「どないやつやねん」「相手の子どもやめさせなきゃならんやろ」「相手の親を出してこい」と怒鳴られた。</p><p>すると、男子生徒の親も怒り出し、「どこにあざができとんや、きてみぃ」と反論。その地区で起きている大人同士の「縄張り争い」に巻き込まれた。</p><p>「あんた子どもいるんか、いないならわかるわけないやろ」「土下座しろ」。自信を失うような言葉を投げかけられたこともある。中には「どうしても教員に謝らせたい」という親もいる。誠心誠意対応をしても、「サービスを受けて当たり前」という雰囲気を感じている。</p><p>●「今からお前を殴りに行く」</p><p>東北地方の公立高教員である戸田さん（仮名、50代男性）は「大方の先生が困ったことがあるのではないか」と話す。</p><p>頭髪指導をしたところ保護者からクレームを受けた。茶色に染めている生徒を注意しても髪色を直さないため保護者に電話した。すると「これ以上直せない」「今からお前を殴りに行く」と怒鳴られた。</p><p>生徒同士のトラブルで、加害者側の生徒から事情を聞いて保護者に電話した際には、「自分の子だけが悪いのか」「ちゃんと聞き取りしたのか」と激昂されたこともある。教頭や学年主任など複数の教員で対応し、経緯を説明したが、「学校として、どうしてくれるんだ」「土下座して謝れ」と詰め寄られた。</p><p>「たとえ生徒が素直に応じなくても、指導は続けなければならない。怒鳴られた後には、車を運転していてもぼうっとしてしまって、精神的に不安定になりました。それでも授業やHRは毎日ある。授業でもうまく笑顔が出せず、生徒に伝わっているのではないかと不安でした」（戸田さん）</p><p>精神的な負担だけではない。戸田さんの勤務校も教育困難校で、毎日のようにトラブルが起きる。年間100件ほどの生徒指導に割かれる時間は非常に多い。</p><p>複数人の生徒が関わる場合、対応する教員が足りないため、授業を急きょ自習にして聞き取りにあたる。保護者にどう伝えるか、教員同士の入念な打ち合わせも不可欠だ。保護者には授業が終わった夕方から夜にかけて対応するが、22時過ぎまでかかることもざらだ。</p><p>戸田さんは言う。「教育の業務は際限がなく、生徒に関わることはほとんど対応する。もちろんトラブル対応も疎かにできない。日々、綱渡りの対応です」</p><p>●当事者同士での解決に限界</p><p>教育研究家で、中教審特別部会委員の妹尾昌俊さんは「保護者対応の内容は学校や地域による差も大きく、調査等では総量の把握は難しい側面がある」と前置きしつつ、「一部には理不尽なクレームや過剰要求があるのも事実であり、教員の負担感やストレスは大きく、看過できない問題。保護者と学校側だけで解決させるのには限界がある」と指摘する。</p><p>「交通事故で例えると、当事者同士で示談交渉をするようなもの。スクールロイヤーやスクールソーシャルワーカーなど教育委員会とはまた別の第三者が介入・対応できるようにする必要がある。ただし、学校側に反省点がある申し出等に対しては、学校は真摯に対応しなければならない」</p><p>また、保護者対応に限らず、教員の仕事の全体量を減らすことも不可欠だと話す。</p><p>「教員はあらゆる仕事を任され、日々余裕がなく追い立てられている。忙しくてつい連絡ミスをしたり、丁寧さを欠いた対応をしたりすると、子どもを心配するあまり、保護者は不信感を抱くことにもなる。冷静に対応できるだけの余裕を教員に持たせる必要がある」</p>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[中学校にクマ、5分間走り回る　岡山・西粟倉 部活中止し一斉下校]]></title><link rel="alternate" href="https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5270029/"></link><id>https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5270029</id><summary><![CDATA[　20日午前8時40分ごろ、岡山県西粟倉村影石、西粟倉中グラウンドにクマ1頭がいるのを住民が目撃し、学校南の村教委事務局を訪れて知らせた。関正治教育長が確認に出たところ、クマはグラウンドのフェンス（高さ約3メートル）を乗り越えようとして約5分間走り回り、フェンスのない校門付近から校外に出て東の国道373号を横切り、山中へ逃げた。けが人はいなかった。当時、校内に生徒と教職員計約50人がいた。部活動を中止して午後4時から一斉下校にし、教職員が通学路の見守りを行う。　関教育長によると、クマは体長約1メートル。学校西側から侵入したとみられ、グラウンドに足跡が点々と残っていた。関教育長は「グラウンドにクマが出たとはしばらく、聞いたことがない。登校時間帯と重ならず、本当によかった」と話していた。県美作県民局によると、本年度県内のツキノワグマの出没状況（15日現在）は件数が171件（前年度同期108件）で、捕獲は16頭（同11頭）。うち西粟倉村では出没件数が6件（同11件）だった。6月21日には美作市の山中で60代男性が襲われ負傷した。]]></summary><author><name>紫苑姫</name></author><published>2018-11-20T04:29:29+00:00</published><updated>2018-11-20T04:29:29+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>　20日午前8時40分ごろ、岡山県西粟倉村影石、西粟倉中グラウンドにクマ1頭がいるのを住民が目撃し、学校南の村教委事務局を訪れて知らせた。関正治教育長が確認に出たところ、クマはグラウンドのフェンス（高さ約3メートル）を乗り越えようとして約5分間走り回り、フェンスのない校門付近から校外に出て東の国道373号を横切り、山中へ逃げた。けが人はいなかった。当時、校内に生徒と教職員計約50人がいた。部活動を中止して午後4時から一斉下校にし、教職員が通学路の見守りを行う。<br></p><p>　関教育長によると、クマは体長約1メートル。学校西側から侵入したとみられ、グラウンドに足跡が点々と残っていた。関教育長は「グラウンドにクマが出たとはしばらく、聞いたことがない。登校時間帯と重ならず、本当によかった」と話していた。県美作県民局によると、本年度県内のツキノワグマの出没状況（15日現在）は件数が171件（前年度同期108件）で、捕獲は16頭（同11頭）。うち西粟倉村では出没件数が6件（同11件）だった。6月21日には美作市の山中で60代男性が襲われ負傷した。</p>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[風疹が全国拡大、五輪に影響懸念]]></title><link rel="alternate" href="https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5258270/"></link><id>https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5258270</id><summary><![CDATA[今年の風疹の累積患者数が近く5年ぶりに2千人を超える見通しとなり、首都圏中心の流行が全国に広がり始めた。来年以降も増え続ける恐れもあり、訪日客の減少など、東京五輪・パラリンピックに影響が出かねないとの見方も出ている。30代以降の男性にワクチン接種を受けていない人が多いのが原因で、専門家は抗体検査やワクチン接種を行うよう呼び掛けている。　国立感染症研究所によると、流行が始まった7月23～29日の1週間に患者が報告された地域は、千葉、東京などの5都県で、患者数は19人。10月29日～11月4日の1週間は26都道府県で154人に拡大。累積1884人に達した。]]></summary><author><name>紫苑姫</name></author><published>2018-11-19T03:11:29+00:00</published><updated>2018-11-19T03:11:29+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>今年の風疹の累積患者数が近く5年ぶりに2千人を超える見通しとなり、首都圏中心の流行が全国に広がり始めた。来年以降も増え続ける恐れもあり、訪日客の減少など、東京五輪・パラリンピックに影響が出かねないとの見方も出ている。30代以降の男性にワクチン接種を受けていない人が多いのが原因で、専門家は抗体検査やワクチン接種を行うよう呼び掛けている。</p><p>　国立感染症研究所によると、流行が始まった7月23～29日の1週間に患者が報告された地域は、千葉、東京などの5都県で、患者数は19人。10月29日～11月4日の1週間は26都道府県で154人に拡大。累積1884人に達した。</p>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[登山シーズン終了の樽前山　目立つ山岳マラソンやマウンテンバイク愛好者]]></title><link rel="alternate" href="https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5207959/"></link><id>https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5207959</id><summary><![CDATA[きのう１２日で主なゲートが閉鎖され、登山シーズンが終了した樽前山（１０４１メートル）。今季は、登山道で山岳マラソンと呼ばれる「トレイルランニング」やマウンテンバイクの愛好者の姿が目立った。自然公園法上の規制などはないものの、新たな山の利用の仕方に困惑する登山者は少なくない。関係団体からは安全面、自然保護の観点で危惧する声も出ている。　「とにかくびっくりした。まさか山に自転車で来る人がいるなんて。マラソンする人にも驚いた」　苫小牧市美園町の登山愛好家山口隆征さん（７４）は年間３０回ほど樽前山に登るが８月にマウンテンバイク、９月にトレイルランニングを見掛けた時は、戸惑いを隠せなかった。登山靴を履き、リュックを背負って一歩ずつ山道を登る従来の登山スタイルとあまりに対照的だったからだ。　山岳関係者によると、同山では、５年ほど前からトレイルランニングを楽しむ人が増え始めた。２０～３０代ぐらいの男女が東山ピーク付近や外輪山を軽快に走る。整地された道路でのランニングと異なり、未舗装の山野を進むトレイルランニングはマラソン、登山人気もあって流行中。　登山道でのマウンテンバイクは、２年ほど前から見られるようになった。アウトドアブームの中、今まで走ったことがない場所でのサイクリングを楽しむ人たちが増えている。　７合目ヒュッテ管理人の鈴木統（はじめ）さん（６６）は「トレイルランニングは天気の良い週末で１日１０～２０人ほど、マウンテンバイクも年に数台見掛ける」と指摘。「マウンテンバイクは登山道を外れて滑落する危険があるので見ていて不安だし、トレイルランニングもけがが心配だ」と話す。◇　　　◇　樽前山を含めた支笏洞爺国立公園を管轄する環境省北海道地方環境事務所（札幌）は「自然公園法上、登山道でのトレイルランニングやマウンテンバイクを規制することはできない」と説明。登山道を外れての走行は禁止されているが今のところ、規制に向けた動きはないという。　これまで樽前山でトレイルランニングやマウンテンバイク絡みの事故発生情報はないが、苫小牧市観光振興課は登山マナーとして、「マウンテンバイクでの登山は大変危険なので自粛してほしい」とアピール。トレイルランニングについては「登山客と衝突事故を起こさないように十分注意してもらいたい」と呼び掛ける。　山の利用方法多様化は全国的な傾向で、東京都は２０１５年３月に「自然公園利用ルール」を策定。高尾山（５９９メートル）、御岳山（９２９メートル）などの自然公園を念頭に、登山客で混雑している時にはトレイルランニングやマウンテンバイク乗り入れなどは控えるルールになっている。　トレイルランニングについては、全国各地で大会が催され、道内でも後志管内留寿都村で毎年９月に、北海道トレイルランニング大会がある。競技として盛り上がっているが、樽前山での大会開催については、地元山岳団体の苫小牧山岳会が安全面などを考慮し、慎重な姿勢を示している。　苫小牧山岳会の泉田健一事務局長（６９）は「トレイルランニングは、事故の危険性もあると思うが世界大会が開かれるなどスポーツとして認知度を高めており、止めるのは困難」との認識。マウンテンバイクについては、登山客との接触事故の可能性もあるし、「タイヤで登山道を掘って土砂が流出する環境破壊の問題もあるのでやめてほしい」と話している。]]></summary><author><name>紫苑姫</name></author><published>2018-11-13T10:10:42+00:00</published><updated>2018-11-13T10:10:42+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>きのう１２日で主なゲートが閉鎖され、登山シーズンが終了した樽前山（１０４１メートル）。今季は、登山道で山岳マラソンと呼ばれる「トレイルランニング」やマウンテンバイクの愛好者の姿が目立った。自然公園法上の規制などはないものの、新たな山の利用の仕方に困惑する登山者は少なくない。関係団体からは安全面、自然保護の観点で危惧する声も出ている。</p><p>　「とにかくびっくりした。まさか山に自転車で来る人がいるなんて。マラソンする人にも驚いた」</p><p>　苫小牧市美園町の登山愛好家山口隆征さん（７４）は年間３０回ほど樽前山に登るが８月にマウンテンバイク、９月にトレイルランニングを見掛けた時は、戸惑いを隠せなかった。登山靴を履き、リュックを背負って一歩ずつ山道を登る従来の登山スタイルとあまりに対照的だったからだ。</p><p>　山岳関係者によると、同山では、５年ほど前からトレイルランニングを楽しむ人が増え始めた。２０～３０代ぐらいの男女が東山ピーク付近や外輪山を軽快に走る。整地された道路でのランニングと異なり、未舗装の山野を進むトレイルランニングはマラソン、登山人気もあって流行中。</p><p>　登山道でのマウンテンバイクは、２年ほど前から見られるようになった。アウトドアブームの中、今まで走ったことがない場所でのサイクリングを楽しむ人たちが増えている。</p><p>　７合目ヒュッテ管理人の鈴木統（はじめ）さん（６６）は「トレイルランニングは天気の良い週末で１日１０～２０人ほど、マウンテンバイクも年に数台見掛ける」と指摘。「マウンテンバイクは登山道を外れて滑落する危険があるので見ていて不安だし、トレイルランニングもけがが心配だ」と話す。</p><p>◇　　　◇</p><p>　樽前山を含めた支笏洞爺国立公園を管轄する環境省北海道地方環境事務所（札幌）は「自然公園法上、登山道でのトレイルランニングやマウンテンバイクを規制することはできない」と説明。登山道を外れての走行は禁止されているが今のところ、規制に向けた動きはないという。</p><p>　これまで樽前山でトレイルランニングやマウンテンバイク絡みの事故発生情報はないが、苫小牧市観光振興課は登山マナーとして、「マウンテンバイクでの登山は大変危険なので自粛してほしい」とアピール。トレイルランニングについては「登山客と衝突事故を起こさないように十分注意してもらいたい」と呼び掛ける。</p><p>　山の利用方法多様化は全国的な傾向で、東京都は２０１５年３月に「自然公園利用ルール」を策定。高尾山（５９９メートル）、御岳山（９２９メートル）などの自然公園を念頭に、登山客で混雑している時にはトレイルランニングやマウンテンバイク乗り入れなどは控えるルールになっている。</p><p>　トレイルランニングについては、全国各地で大会が催され、道内でも後志管内留寿都村で毎年９月に、北海道トレイルランニング大会がある。競技として盛り上がっているが、樽前山での大会開催については、地元山岳団体の苫小牧山岳会が安全面などを考慮し、慎重な姿勢を示している。</p><p>　苫小牧山岳会の泉田健一事務局長（６９）は「トレイルランニングは、事故の危険性もあると思うが世界大会が開かれるなどスポーツとして認知度を高めており、止めるのは困難」との認識。マウンテンバイクについては、登山客との接触事故の可能性もあるし、「タイヤで登山道を掘って土砂が流出する環境破壊の問題もあるのでやめてほしい」と話している。</p>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[一度に5000個も…青森でりんごが大量盗難]]></title><link rel="alternate" href="https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5182251/"></link><id>https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5182251</id><summary><![CDATA[日本一のりんごの生産地、青森県で、収穫前のりんごが大量に木からもぎ取られて盗まれる事件が相次いでいます。盗まれたりんごはすでに１万個を超え、去年の13倍となっています。大量盗難が始まったのは先月13日からです。青森市のりんご畑で「紅玉」と「レッドゴールド」という品種、合わせて800個がもぎ取られたのに続いて、25日には平川市のりんご畑で「ふじ」と「金星」という品種、合わせて1700個がもぎ取られていました。被害は止まらず、27日には弘前市で収穫を始めたばかりの「ふじ」4300個がもぎ取られているのが見つかったほか、30日には黒石市で1200個の「ふじ」が、そして今月１日にもつがる市で「ふじ」5000個が盗まれました。警察に届け出のあった、りんごの盗難数は合わせておよそ１万3000個で、被害金額は140万円余りに達しています。りんごの盗難は去年は1030個で、ことしはすでに去年のおよそ13倍に上っています。被害にあったの農家の女性は「いいりんごばかり持って行ったのでプロだと思う。りんごを作っている人だったら考えられない。台風の被害を乗り越えたのに最後に盗まれたのは悔しい」と話していました。盗まれたりんごは、収穫の時期を迎えた実だけを選んで、ヘタの上の部分からきれいにもぎ取られていて、警察は、りんごの扱いに慣れたグループがもぎ取って車で運び去った疑いが強いとみています。夜間パトロールや監視カメラで警戒りんごの盗難が相次ぐ中、青森県内では警戒の動きが強まっています。先月、盗難被害があった弘前市高杉地区では、地元のりんご農家が中心になって毎晩、畑の周辺でパトロールを続けています。農家の人たちは、青い回転灯のついたパトロール用の車に乗り、１時間以上かけて地区の隅々まで巡回しながら、不審な人物がいないか監視していました。また、収穫したりんごを出荷用の箱に入れたまま放置している畑を見つけると、盗難への注意を呼びかけるチラシを置いていきました。パトロールに参加している生産農家の五十嵐清昭さんは「自分も農家なので、ほかの人の生活の糧がなくならないようパトロールを続けていきたい」と話していました。また、県内でりんごの栽培面積が最も広い弘前市は、監視カメラを試験的にりんご畑に設置することを決めました。このカメラは野生生物の撮影用で、人間や動物の動きをセンサーが感知すると自動的に作動し、夜間でも動画や静止画を撮影できます。盗難防止への効果が確認されれば、本格的な導入に向けて検討を進めるとしています。桜田宏市長は「こうした取り組みで少しでも事件が減ることを期待している」と話していました。りんごの品薄と価格上昇が影響か盗難が相次ぐ背景には、りんごが台風などの影響で品薄になっていることと、価格が上昇していることがあるとみられています。青森県ではことし、「黒星病」というりんごの病気が各地で確認され、18年ぶりに「注意報」が出されました。感染した疑いがある葉や実は早く取り除く必要があり、例年なら収穫できたはずの実が栽培の過程で取り除かれるケースがありました。また、ことしは台風の接近も続き、特に９月の台風21号では強風で実が落ちる被害が相次ぎました。こうした影響もあって、日本一のりんご産地、弘前市の青果市場に、今月５日までに出荷された主力品種の「ふじ」は、例年より１割ほど少なくなっています。一方、青森県によりますと、ことし９月、国内の主な市場で取り引きされた青森県産のりんごの１キロ当たりの平均価格は309円で、この時期としては過去10年で最も高くなりました。青果市場の関係者は価格の上昇について、りんごが品薄になっていることに加え、７月の西日本豪雨や相次いだ台風の影響で、かんきつ類やぶどう、梨などの競合する果物の収穫量も減ったことや、台湾をはじめとする海外からの引き合いが依然として多いことなどがあるとみています。青森のりんごをＰＲするイベントも青森県産のりんごが収穫のピークを迎える中、東京・銀座では、りんごを使った料理や飲み物で、「青森のりんご」をＰＲするイベントが開かれています。イベントは、東京・銀座の商業施設を会場に、飲食店や県が協力して開き、会場には、壁にりんごをデザインしたバー・カウンターも登場しました。会場では、青森県産りんごを使った肉料理から、りんごを丸ごと１個使ったカクテルなどさまざまな料理や飲み物を味わうことができ、りんご好きの人たちが試飲や試食を楽しんでいました。娘と家族で訪れた都内に住む40代の女性は、「家族そろってりんごが好きなので、楽しみにしてきました。とてもおいしい」と話していました。ＰＲに訪れた青森県総合販売戦略課の藤田真理子さんは、みずからも試食にたちあい「農家が丹精込めて育てた。多くの人に味わってほしい」と話していました。一方で、産地で盗難被害が相次いでいることを受けて、「手塩にかけて育てたわが子のようなりんごが持って行かれてしまうのはとても残念なことです。農家の方々が生産に励む力になるように、多くの人においしいりんごを買っていただきたい」と話していました。]]></summary><author><name>紫苑姫</name></author><published>2018-11-11T02:19:26+00:00</published><updated>2018-11-11T02:19:26+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>日本一のりんごの生産地、青森県で、収穫前のりんごが大量に木からもぎ取られて盗まれる事件が相次いでいます。盗まれたりんごはすでに１万個を超え、去年の13倍となっています。</p><p>大量盗難が始まったのは先月13日からです。</p><p>青森市のりんご畑で「紅玉」と「レッドゴールド」という品種、合わせて800個がもぎ取られたのに続いて、25日には平川市のりんご畑で「ふじ」と「金星」という品種、合わせて1700個がもぎ取られていました。</p><p>被害は止まらず、27日には弘前市で収穫を始めたばかりの「ふじ」4300個がもぎ取られているのが見つかったほか、30日には黒石市で1200個の「ふじ」が、そして今月１日にもつがる市で「ふじ」5000個が盗まれました。</p><p>警察に届け出のあった、りんごの盗難数は合わせておよそ１万3000個で、被害金額は140万円余りに達しています。</p><p>りんごの盗難は去年は1030個で、ことしはすでに去年のおよそ13倍に上っています。</p><p>被害にあったの農家の女性は「いいりんごばかり持って行ったのでプロだと思う。りんごを作っている人だったら考えられない。台風の被害を乗り越えたのに最後に盗まれたのは悔しい」と話していました。</p><p>盗まれたりんごは、収穫の時期を迎えた実だけを選んで、ヘタの上の部分からきれいにもぎ取られていて、警察は、りんごの扱いに慣れたグループがもぎ取って車で運び去った疑いが強いとみています。</p><p>夜間パトロールや監視カメラで警戒</p><p>りんごの盗難が相次ぐ中、青森県内では警戒の動きが強まっています。</p><p>先月、盗難被害があった弘前市高杉地区では、地元のりんご農家が中心になって毎晩、畑の周辺でパトロールを続けています。</p><p>農家の人たちは、青い回転灯のついたパトロール用の車に乗り、１時間以上かけて地区の隅々まで巡回しながら、不審な人物がいないか監視していました。</p><p>また、収穫したりんごを出荷用の箱に入れたまま放置している畑を見つけると、盗難への注意を呼びかけるチラシを置いていきました。</p><p>パトロールに参加している生産農家の五十嵐清昭さんは「自分も農家なので、ほかの人の生活の糧がなくならないようパトロールを続けていきたい」と話していました。</p><p>また、県内でりんごの栽培面積が最も広い弘前市は、監視カメラを試験的にりんご畑に設置することを決めました。</p><p>このカメラは野生生物の撮影用で、人間や動物の動きをセンサーが感知すると自動的に作動し、夜間でも動画や静止画を撮影できます。</p><p>盗難防止への効果が確認されれば、本格的な導入に向けて検討を進めるとしています。</p><p>桜田宏市長は「こうした取り組みで少しでも事件が減ることを期待している」と話していました。</p><p>りんごの品薄と価格上昇が影響か</p><p>盗難が相次ぐ背景には、りんごが台風などの影響で品薄になっていることと、価格が上昇していることがあるとみられています。</p><p>青森県ではことし、「黒星病」というりんごの病気が各地で確認され、18年ぶりに「注意報」が出されました。</p><p>感染した疑いがある葉や実は早く取り除く必要があり、例年なら収穫できたはずの実が栽培の過程で取り除かれるケースがありました。</p><p>また、ことしは台風の接近も続き、特に９月の台風21号では強風で実が落ちる被害が相次ぎました。</p><p>こうした影響もあって、日本一のりんご産地、弘前市の青果市場に、今月５日までに出荷された主力品種の「ふじ」は、例年より１割ほど少なくなっています。</p><p>一方、青森県によりますと、ことし９月、国内の主な市場で取り引きされた青森県産のりんごの１キロ当たりの平均価格は309円で、この時期としては過去10年で最も高くなりました。</p><p>青果市場の関係者は価格の上昇について、りんごが品薄になっていることに加え、７月の西日本豪雨や相次いだ台風の影響で、かんきつ類やぶどう、梨などの競合する果物の収穫量も減ったことや、台湾をはじめとする海外からの引き合いが依然として多いことなどがあるとみています。</p><p>青森のりんごをＰＲするイベントも</p><p>青森県産のりんごが収穫のピークを迎える中、東京・銀座では、りんごを使った料理や飲み物で、「青森のりんご」をＰＲするイベントが開かれています。</p><p>イベントは、東京・銀座の商業施設を会場に、飲食店や県が協力して開き、会場には、壁にりんごをデザインしたバー・カウンターも登場しました。</p><p>会場では、青森県産りんごを使った肉料理から、りんごを丸ごと１個使ったカクテルなどさまざまな料理や飲み物を味わうことができ、りんご好きの人たちが試飲や試食を楽しんでいました。</p><p>娘と家族で訪れた都内に住む40代の女性は、「家族そろってりんごが好きなので、楽しみにしてきました。とてもおいしい」と話していました。</p><p>ＰＲに訪れた青森県総合販売戦略課の藤田真理子さんは、みずからも試食にたちあい「農家が丹精込めて育てた。多くの人に味わってほしい」と話していました。</p><p>一方で、産地で盗難被害が相次いでいることを受けて、「手塩にかけて育てたわが子のようなりんごが持って行かれてしまうのはとても残念なことです。農家の方々が生産に励む力になるように、多くの人においしいりんごを買っていただきたい」と話していました。</p>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[インフルエンザ患者 異常行動 厚労省が注意呼びかけ]]></title><link rel="alternate" href="https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5134385/"></link><id>https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5134385</id><summary><![CDATA[昨シーズン、インフルエンザの治療薬を服用した10代の少年が自宅マンションから転落して死亡していたことがわかり、厚生労働省は今シーズンの流行を前に注意を呼びかけています。厚生労働省は５日に開かれた専門家会議で、昨シーズン報告されたインフルエンザの患者の異常行動について公表しました。それによりますと、10代の少年がインフルエンザの治療薬「イナビル」を服用した翌日、家族が目を離しているうちに自宅マンションの８階のベランダから転落して死亡したということです。また10歳前後の子どもを中心に、インフルエンザの患者が突然走り出したり暴れたりする異常行動が95件確認されたということです。薬を服用していなくても異常行動が起きたケースもあり、薬との因果関係はわかっていません。厚生労働省は今シーズンの流行を前に保護者に対して注意を呼びかけ、診断から２日間はなるべく１人にさせず、戸建て住宅の場合はできるだけ１階の部屋で療養させるよう求めています。]]></summary><author><name>紫苑姫</name></author><published>2018-11-06T02:58:13+00:00</published><updated>2018-11-06T02:58:13+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[＜ハロウィーン＞非日常の出会い求めて　狂騒の街・]]></title><link rel="alternate" href="https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5106796/"></link><id>https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5106796</id><summary><![CDATA[ハロウィーン当日を迎えた３１日夜から１日未明、東京・渋谷の繁華街は仮装姿の若者で埋まった。何を求めて集うのか。狂騒の街を歩いた。◇金曜日だった２０１４年　ゾンビ、天使、囚人、スーパーマン－－。まだ日の明るさが残る３１日夕、渋谷駅前のスクランブル交差点には、顔にユニークな化粧を施し、さまざまな衣装を身にまとった若者たちが続々と集まってきた。多くは数人で連れ立って歩き、携帯電話で写真や動画を撮り合う。東京都足立区の高校２年の女子生徒（１６）は、学校のトイレで口の周りを赤く塗るメークをしてから、友人とともに電車に乗って駆けつけた。「渋谷は人が多くて、いい意味で騒がしい。来年もまた来たい」と笑顔だ。　渋谷のハロウィーンに主催者はいない。それでも毎年、街は若者で埋め尽くされる。渋谷区などによると、玩具業界や遊園地などがハロウィーンに関連したイベントを実施し始めたことがきっかけで認知度が高まり、十数年前から仮装した若者が少しずつ集まり始めたとみられる。　ここまで混雑が激しくなったのは、２０１４年ごろからだ。この年は３１日が金曜日で、ＳＮＳ（ソーシャル・ネットワーキング・サービス）などの普及で渋谷に集まる若者が急増してトラブルや苦情が相次いだ。駅のトイレが着替えで占拠され、路上にごみがあふれ、警視庁が急きょ機動隊員を派遣する事態になった。翌年から区などが主体となってゴミ集積所や着替え用スペースを設け、警視庁も警備を強化し始めた。　◇非日常の空気感　今年も直前の週末から、街は荒れた。２７～２８日にかけて暴行などの容疑で２０～５０代の男５人が逮捕され、立ち往生した軽トラックを数人が取り囲み、横転させる事件も起きた。警視庁は警察官の増員を決め、深夜から未明の警備を強化する“厳戒態勢”を敷いた。　３１日も午後６時を回ると混雑が激しくなり、センター街は身動きを取るのも難しくなってきた。交通誘導のため、警察官が吹く「ピーッ！ピーッ！」という笛の音が響く。歩道がいっぱいになり、警視庁は午後７時ごろ、今年のハロウィーンで初めての交通規制を実施した。警察車両がスクランブル交差点の入り口をふさぐ。その先の道玄坂などが車両通行止めになり、歩行者に開放されると、若者たちが一気に流れ込んだ。柔らかな口調で交通誘導を行うＤＪポリスが、「肩車をしている人は降りてください」「皆さんがハロウィーンを楽しめますように、１枚写真を撮りおわりましたら、それぞれの方向へお進みください」などと呼び掛けた。　ニュースやインターネットで街の混乱が伝えられるにもかかわらず、なぜ、若者たちは渋谷を目指すのだろう。「どこかで人とつながりたい気持ちがちょっとある」。川崎市から来た病院職員の女性（３３）はそう語った。ハロウィーンで渋谷に来るのは昨年に続き２回目だ。普段の仕事にあまり出会いはない。だが、渋谷で仮装していれば知らない人同士でも気軽に声を掛け合ったり、一緒に写真を撮ったりできる。「日常ではこういうことは難しい。１年に１回だから楽しみたい」　◇就活中の大学生も　センター街の歩道で、黄色のタイツに身を包み踊っている４人組がいた。声をかけると、大学の友人同士だという。神奈川県小田原市から来た３年の男子学生（２０）は「人生で１回はこの空気を味わってみたいと思った」と声を弾ませた。「本当はこういうイベントで盛り上がらないタイプ」だが、友人に誘われて付いてきた。音楽が流れるたびに４人で自由に踊ると、歩行者がスマホで写真を撮っていく。街全体で盛り上がる高揚感が「気持ちいい」という。たまにスーツ姿の人が通ると、自分たちばかりではしゃいで申し訳ないと思う。就職活動の真っ最中だ。志望するＩＴ系企業は面接が進んでおり、顔が分からないように大きなサングラスをかけている。ニュースでは渋谷の騒乱が伝えられるが、「自分は悪いことはしない。ただ、渋谷の空気を感じたいからここにいる」。その口調は意外にも冷静だった。　「いつもと違う感じが楽しい」「渋谷なら羽目を外してもいいという空気がある」－－。話を聞いた若者たちは口をそろえた。彼らが求めているのは「非日常」のようだ。　◇狂騒の裏側で　混雑がピークを迎えた午後９時ごろになると、歩行者天国となった車道は押しくらまんじゅう状態に。「やばい」「痛い」などの声がそこかしこから聞こえてくる。そんな街の騒がしさをよそに、静かに店頭の商品をしまう女性がいた。青果店を営む佐川静子さん（６７）。周辺の飲食店向けに野菜や果物を卸しているが、「ハロウィーンなんて一つもいいことがない」と嘆き、普段より３時間以上早く店を閉めた。　ハロウィーン期間中は人が通る隙間（すきま）もないほど混み合うため配達がままならなくなる上に、混乱を恐れて普段より早く店じまいする店も多く、売り上げは減るという。店の前の私道入り口には進入禁止のコーンを置いたが、朝には投げ込まれたごみがあふれる。佐川さんは、「この週末も１時間かけて掃除した。来て普通に楽しんでくれるだけならいいんだけどね」と、あきらめ顔だ。　◇落とし物の相談の列　渋谷区は今年、渋谷駅周辺のコンビニエンスストアなどに割れると危険な瓶に入った酒の販売自粛を要請。長谷部健区長も記者会見で、ごみ捨てなどのマナーを守り最終電車までに帰宅するよう呼びかけた。それでも騒動は相次ぎ、区には全国からハロウィーンの中止を求める抗議電話が相次いでいるという。区の担当者は「主催者がおらず、中止や禁止をする方法がない。区がオールナイトのイベントを主催するわけにもいかないし……」と頭を抱える。　午後１１時を回ると、ＤＪポリスが渋谷駅に乗り入れる鉄道各線の最終電車の時刻を読み上げ始めた。少しずつ帰宅する人たちも増えてきたが、警視庁が渋谷駅前に設けた臨時の窓口には、落とし物の相談をする人たちの列ができていた。ベトナムからの留学生、チャン・バン・トゥアンさん（２０）に声を掛けると、「上着のポケットに入れていた財布を無くした」と途方に暮れながら話した。中には現金や保険証、通っている日本語学校の学生証などが入っていたという。「ハロウィーンは初めてだったし、みんなフレンドリーで楽しかったけど、財布を無くして今は楽しくない」と苦笑いを浮かべた。　◇渋谷ハロウィーン・ナイトは終わらない　少しずつ人の減ってきたスクランブル交差点から、センター街に向けて歩いて行くと、人の密度が濃くなっていく。午前１時、先週末、軽トラックが横転させられた事件が起きたのと同じ時間、同じ場所だ。半裸の男性や、どこからか持ち込んだ瓶の酒を片手に騒ぐ人たちの姿が見える。誰かが「イェーイ」と叫び声を上げると、周囲も呼応するように騒ぎ出した。　その場にいたゾンビ姿の男子大学生（１９）＝東京都目黒区＝に、軽トラックが横転させられた事件をどう思うか聞いてみた。「自分ではあそこまでやるとは思わない」と言いつつも、「でも、みんな羽目を外している中で車が来たら、ああいうことをやってしまうのかもしれない。赤信号みんなで渡れば怖くない、みたいな感じなんじゃないですかね」　この夜、警視庁は２０～４０代の男４人を逮捕した。容疑は都迷惑防止条例違反（痴漢）▽公務執行妨害▽窃盗▽暴行－－だった。　午前２時半。騒乱を警備する警察官の笛の音は、延々と街に響き渡っていた。渋谷ハロウィーン・ナイトは終わらない。]]></summary><author><name>紫苑姫</name></author><published>2018-10-31T23:17:46+00:00</published><updated>2018-10-31T23:17:46+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>ハロウィーン当日を迎えた３１日夜から１日未明、東京・渋谷の繁華街は仮装姿の若者で埋まった。何を求めて集うのか。狂騒の街を歩いた。◇金曜日だった２０１４年<br></p><p>　ゾンビ、天使、囚人、スーパーマン－－。まだ日の明るさが残る３１日夕、渋谷駅前のスクランブル交差点には、顔にユニークな化粧を施し、さまざまな衣装を身にまとった若者たちが続々と集まってきた。多くは数人で連れ立って歩き、携帯電話で写真や動画を撮り合う。東京都足立区の高校２年の女子生徒（１６）は、学校のトイレで口の周りを赤く塗るメークをしてから、友人とともに電車に乗って駆けつけた。「渋谷は人が多くて、いい意味で騒がしい。来年もまた来たい」と笑顔だ。</p><p>　渋谷のハロウィーンに主催者はいない。それでも毎年、街は若者で埋め尽くされる。渋谷区などによると、玩具業界や遊園地などがハロウィーンに関連したイベントを実施し始めたことがきっかけで認知度が高まり、十数年前から仮装した若者が少しずつ集まり始めたとみられる。</p><p>　ここまで混雑が激しくなったのは、２０１４年ごろからだ。この年は３１日が金曜日で、ＳＮＳ（ソーシャル・ネットワーキング・サービス）などの普及で渋谷に集まる若者が急増してトラブルや苦情が相次いだ。駅のトイレが着替えで占拠され、路上にごみがあふれ、警視庁が急きょ機動隊員を派遣する事態になった。翌年から区などが主体となってゴミ集積所や着替え用スペースを設け、警視庁も警備を強化し始めた。</p><p>　◇非日常の空気感</p><p>　今年も直前の週末から、街は荒れた。２７～２８日にかけて暴行などの容疑で２０～５０代の男５人が逮捕され、立ち往生した軽トラックを数人が取り囲み、横転させる事件も起きた。警視庁は警察官の増員を決め、深夜から未明の警備を強化する“厳戒態勢”を敷いた。</p><p>　３１日も午後６時を回ると混雑が激しくなり、センター街は身動きを取るのも難しくなってきた。交通誘導のため、警察官が吹く「ピーッ！ピーッ！」という笛の音が響く。歩道がいっぱいになり、警視庁は午後７時ごろ、今年のハロウィーンで初めての交通規制を実施した。警察車両がスクランブル交差点の入り口をふさぐ。その先の道玄坂などが車両通行止めになり、歩行者に開放されると、若者たちが一気に流れ込んだ。柔らかな口調で交通誘導を行うＤＪポリスが、「肩車をしている人は降りてください」「皆さんがハロウィーンを楽しめますように、１枚写真を撮りおわりましたら、それぞれの方向へお進みください」などと呼び掛けた。</p><p>　ニュースやインターネットで街の混乱が伝えられるにもかかわらず、なぜ、若者たちは渋谷を目指すのだろう。「どこかで人とつながりたい気持ちがちょっとある」。川崎市から来た病院職員の女性（３３）はそう語った。ハロウィーンで渋谷に来るのは昨年に続き２回目だ。普段の仕事にあまり出会いはない。だが、渋谷で仮装していれば知らない人同士でも気軽に声を掛け合ったり、一緒に写真を撮ったりできる。「日常ではこういうことは難しい。１年に１回だから楽しみたい」</p><p>　◇就活中の大学生も</p><p>　センター街の歩道で、黄色のタイツに身を包み踊っている４人組がいた。声をかけると、大学の友人同士だという。神奈川県小田原市から来た３年の男子学生（２０）は「人生で１回はこの空気を味わってみたいと思った」と声を弾ませた。「本当はこういうイベントで盛り上がらないタイプ」だが、友人に誘われて付いてきた。音楽が流れるたびに４人で自由に踊ると、歩行者がスマホで写真を撮っていく。街全体で盛り上がる高揚感が「気持ちいい」という。たまにスーツ姿の人が通ると、自分たちばかりではしゃいで申し訳ないと思う。就職活動の真っ最中だ。志望するＩＴ系企業は面接が進んでおり、顔が分からないように大きなサングラスをかけている。ニュースでは渋谷の騒乱が伝えられるが、「自分は悪いことはしない。ただ、渋谷の空気を感じたいからここにいる」。その口調は意外にも冷静だった。</p><p>　「いつもと違う感じが楽しい」「渋谷なら羽目を外してもいいという空気がある」－－。話を聞いた若者たちは口をそろえた。彼らが求めているのは「非日常」のようだ。</p><p>　◇狂騒の裏側で</p><p>　混雑がピークを迎えた午後９時ごろになると、歩行者天国となった車道は押しくらまんじゅう状態に。「やばい」「痛い」などの声がそこかしこから聞こえてくる。そんな街の騒がしさをよそに、静かに店頭の商品をしまう女性がいた。青果店を営む佐川静子さん（６７）。周辺の飲食店向けに野菜や果物を卸しているが、「ハロウィーンなんて一つもいいことがない」と嘆き、普段より３時間以上早く店を閉めた。</p><p>　ハロウィーン期間中は人が通る隙間（すきま）もないほど混み合うため配達がままならなくなる上に、混乱を恐れて普段より早く店じまいする店も多く、売り上げは減るという。店の前の私道入り口には進入禁止のコーンを置いたが、朝には投げ込まれたごみがあふれる。佐川さんは、「この週末も１時間かけて掃除した。来て普通に楽しんでくれるだけならいいんだけどね」と、あきらめ顔だ。</p><p>　◇落とし物の相談の列</p><p>　渋谷区は今年、渋谷駅周辺のコンビニエンスストアなどに割れると危険な瓶に入った酒の販売自粛を要請。長谷部健区長も記者会見で、ごみ捨てなどのマナーを守り最終電車までに帰宅するよう呼びかけた。それでも騒動は相次ぎ、区には全国からハロウィーンの中止を求める抗議電話が相次いでいるという。区の担当者は「主催者がおらず、中止や禁止をする方法がない。区がオールナイトのイベントを主催するわけにもいかないし……」と頭を抱える。</p><p>　午後１１時を回ると、ＤＪポリスが渋谷駅に乗り入れる鉄道各線の最終電車の時刻を読み上げ始めた。少しずつ帰宅する人たちも増えてきたが、警視庁が渋谷駅前に設けた臨時の窓口には、落とし物の相談をする人たちの列ができていた。ベトナムからの留学生、チャン・バン・トゥアンさん（２０）に声を掛けると、「上着のポケットに入れていた財布を無くした」と途方に暮れながら話した。中には現金や保険証、通っている日本語学校の学生証などが入っていたという。「ハロウィーンは初めてだったし、みんなフレンドリーで楽しかったけど、財布を無くして今は楽しくない」と苦笑いを浮かべた。</p><p>　◇渋谷ハロウィーン・ナイトは終わらない</p><p>　少しずつ人の減ってきたスクランブル交差点から、センター街に向けて歩いて行くと、人の密度が濃くなっていく。午前１時、先週末、軽トラックが横転させられた事件が起きたのと同じ時間、同じ場所だ。半裸の男性や、どこからか持ち込んだ瓶の酒を片手に騒ぐ人たちの姿が見える。誰かが「イェーイ」と叫び声を上げると、周囲も呼応するように騒ぎ出した。</p><p>　その場にいたゾンビ姿の男子大学生（１９）＝東京都目黒区＝に、軽トラックが横転させられた事件をどう思うか聞いてみた。「自分ではあそこまでやるとは思わない」と言いつつも、「でも、みんな羽目を外している中で車が来たら、ああいうことをやってしまうのかもしれない。赤信号みんなで渡れば怖くない、みたいな感じなんじゃないですかね」</p><p>　この夜、警視庁は２０～４０代の男４人を逮捕した。容疑は都迷惑防止条例違反（痴漢）▽公務執行妨害▽窃盗▽暴行－－だった。</p><p>　午前２時半。騒乱を警備する警察官の笛の音は、延々と街に響き渡っていた。渋谷ハロウィーン・ナイトは終わらない。</p>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[＜北方領土＞択捉の日本人墓石　ロシア人修復「友達だから」]]></title><link rel="alternate" href="https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5080883/"></link><id>https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5080883</id><summary><![CDATA[北方領土・択捉島の元島民２世らにより７月、同島の紗那墓地で倒れた日本人の墓石４基を復元する作業が始まったが、一緒に汗を流した同島在住のロシア人、セルゲイ・クワソフさん（６３）がその後一人で墓石をすべて据え直した。本格復旧は来年以降と考えていた関係者は「まさかここまでやってくれるとは」と感激している。【本間浩昭】　今年度のビザなしロシア側最終訪問団の一員として富山県を訪れたクワソフさんが１５日、帰港前に根室市で日本側の関係者に詳細な経過を明らかにした。　墓石の復元プロジェクトは、１級建築士の井桁（いげた）正美さん（５８）＝東京都中野区＝が１２年前に初めて紗那墓地を訪れた際、曽祖父・柏谷幾次郎さんの墓が倒れているのを目の当たりにしたのをきっかけで始まった。　「何とか修復できないか」と数年越しで計画を温め、今年７月にビザなし日本側訪問団として択捉島を訪れた際、井桁さんら１１人が１９１２（大正元）年に同島で亡くなった高橋直孝さんの墓の修復に着手。土台にセメントを流し込み、来年墓石を据える予定だった。　その作業を手伝ったクワソフさんによるとセメントが固まった８月、推定３５０キロの高橋さんの墓石を小型クレーンを使って一人で据えた。さらに墓地内に倒れていた日本人の墓石を次々と据え直したという。　重さ約１．３トンもある「明治３０年１月　故柏谷幾次郎」と書かれた墓石は「斜面に曲がって倒れていたので起こすのに３日かかった。いつも花を手向けています」とも話した。　根室市で井桁さんと再会したクワソフさんは直した墓石の写真のコピーを示しながら「近くに母の墓があり、行くたびに倒れた日本人の墓石が気になっていた。友達だから協力した」と伝え、堅い握手を交わした。さらに、墓石の下から見つかった皿も渡した。　井桁さんは「元島民は島を離れるとき、墓の近くにいろいろなものを埋めてきたと聞いている。きっとその一つだと思う」と感謝。「来年は元島民のおばやいとこを、復元された墓に連れて行きたい」と喜んだ。　◇「叔父の病気、日本人が治してくれた」　倒れた日本人の墓石をボランティアで修復したクワソフさんによると、母は戦後間もない１９４５年、ロシア中部・ボルガ川流域のサラトフから祖母に連れられ、きょうだい６人と一緒に択捉島に移住した。生前には「日本人と同じ学校（紗那国民学校）に通い、子供のころから日本人を友達だと思っていた」と話していたという。　同校は、北方領土にいまも残る数少ない木造建造物。「僕も１年生のとき（６１年）まで通った。でも現在は使われておらず、いずれ壊されてしまうだろう」と寂しげな表情をした。　クワソフさんは母から聞いた日本人との親交のエピソードも語った。「叔父が病気になったときは、日本人医師が治療してくれて治った」「日本人は敵ではなく、友人だった」　その母も数年前、同島で亡くなり、紗那墓地に埋められた。紗那郊外にある同墓地は、日本人の墓とロシア人の墓が混在する状態で葬られている。　クワソフさんは「日本人とはかつて一緒に仲良く暮らしていたし、将来も一緒に住めると思う」と語った。【関連記事】]]></summary><author><name>紫苑姫</name></author><published>2018-10-26T07:14:14+00:00</published><updated>2018-10-26T07:14:14+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[初の女性交番所長が奔走　九州一の繁華街・天神を管轄　“前例ない経験”重ねた2児の母]]></title><link rel="alternate" href="https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5050878/"></link><id>https://sion16hime.amebaownd.com/posts/5050878</id><summary><![CDATA[九州一の繁華街、福岡市・天神を管轄する福岡中央署天神警部交番で、初の女性交番所長が奔走している。今春就任した西村仁美警部（44）。市民に身近な存在であると同時に、増加する観光客には街の“顔”でもある交番。「落とし物一つでも訪れる人には一大事。相手の立場になり、ほっとできる場所にしたい」。母のような優しいまなざしで、天神の街を見守る。西鉄福岡（天神）駅や商業施設に囲まれた警固公園の一角に、交番はある。道案内、落とし物、交通違反…。昼間は観光客や外国人が立ち寄り、宵となれば酔っぱらいのトラブルが舞い込む。管内の犯罪発生件数は県内最多で、落とし物の届け出は50件を超える日もある。“前例のない経験”を重ね　「変化が激しい街だけに、発生する犯罪も日々変わる。柔軟な対応を心掛けている」と語る西村さん。　県内最大規模の交番トップとして34人の警察官を束ねる一方、同署管内の計10交番を統括する。夜は、地域住民や企業などとの会合に顔を出し、天神地区の地域づくりにも関わる。　大学卒業後、1996年に警察官を拝命。少年課など生活安全分野を歩み、2015年から2年間は、県警で初めて県児童相談所に派遣された。児童虐待を受けた子どもの苦しみに向き合い「弱い立場の人の声なき声を聴くことのできる警察官でありたい」と思いを新たにした。　県警によると、企業の課長職に当たる警部の中で女性の割合は1・3％（今年4月現在）と、民間企業の女性管理職の平均を大きく下回る。そうした中、「英語やフランス語に堪能で、人望も厚い」（県警幹部）と西村さんの評価は高い。　私生活では2児の母でもある。巡査部長の昇任試験は第1子を妊娠中に受験し、制服が入らないほど大きなおなかで臨むなど“前例のない経験”を重ねてきた。「周りの理解と支えがあったから挑戦することができた」。　交番は高校や大学を卒業したての新人が多く配置され、若手の相談に乗ることもしばしば。「多くの人と交流して、相手の思いや痛みが分かる警察官になって」と声を掛ける。　繁華街イコール危ない街にはしたくない。「犯罪の芽を摘み、昼夜を問わず安心できる天神にしたい」。柔らかな空気をまとい、きょうも駆け巡る。]]></summary><author><name>紫苑姫</name></author><published>2018-10-20T00:22:03+00:00</published><updated>2018-10-20T00:22:03+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>九州一の繁華街、福岡市・天神を管轄する福岡中央署天神警部交番で、初の女性交番所長が奔走している。今春就任した西村仁美警部（44）。市民に身近な存在であると同時に、増加する観光客には街の“顔”でもある交番。「落とし物一つでも訪れる人には一大事。相手の立場になり、ほっとできる場所にしたい」。母のような優しいまなざしで、天神の街を見守る。西鉄福岡（天神）駅や商業施設に囲まれた警固公園の一角に、交番はある。道案内、落とし物、交通違反…。昼間は観光客や外国人が立ち寄り、宵となれば酔っぱらいのトラブルが舞い込む。管内の犯罪発生件数は県内最多で、落とし物の届け出は50件を超える日もある。<br></p><p>“前例のない経験”を重ね</p><p>　「変化が激しい街だけに、発生する犯罪も日々変わる。柔軟な対応を心掛けている」と語る西村さん。</p><p>　県内最大規模の交番トップとして34人の警察官を束ねる一方、同署管内の計10交番を統括する。夜は、地域住民や企業などとの会合に顔を出し、天神地区の地域づくりにも関わる。</p><p>　大学卒業後、1996年に警察官を拝命。少年課など生活安全分野を歩み、2015年から2年間は、県警で初めて県児童相談所に派遣された。児童虐待を受けた子どもの苦しみに向き合い「弱い立場の人の声なき声を聴くことのできる警察官でありたい」と思いを新たにした。</p><p>　県警によると、企業の課長職に当たる警部の中で女性の割合は1・3％（今年4月現在）と、民間企業の女性管理職の平均を大きく下回る。そうした中、「英語やフランス語に堪能で、人望も厚い」（県警幹部）と西村さんの評価は高い。</p><p>　私生活では2児の母でもある。巡査部長の昇任試験は第1子を妊娠中に受験し、制服が入らないほど大きなおなかで臨むなど“前例のない経験”を重ねてきた。「周りの理解と支えがあったから挑戦することができた」。</p><p>　交番は高校や大学を卒業したての新人が多く配置され、若手の相談に乗ることもしばしば。「多くの人と交流して、相手の思いや痛みが分かる警察官になって」と声を掛ける。</p><p>　繁華街イコール危ない街にはしたくない。「犯罪の芽を摘み、昼夜を問わず安心できる天神にしたい」。柔らかな空気をまとい、きょうも駆け巡る。</p>
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